「ユニコーンはここにいる」お散歩特集の第一回は、お笑いコンビ「SAW&LAW」で芸人としても活躍するレズビアンの芋ポテトさんにご寄稿いただきました。無類のネコ好きである芋ポテトさんと散歩道で出会った地域ネコたちの、ちょっと複雑な距離感についてのエッセイです。
書いた人:芋ポテト
芸人。相方・万次郎とのお笑いコンビ「SAW&LAW」で活動中。
晴れている日に散歩するときは必ず新聞の集配所のところを通って行く。こういう日はだいたい「はぬけちゃん」がいるから。はぬけちゃんは右の前歯がない。けんかして折れたのか、虫歯で抜けたのか、はたまた石にでもかぶりついたのか、ぜんぜんわからない。とにかく歯がぬけているのではぬけちゃんと呼んでいる。
引っ越したばかりで不動産屋さんに教えてもらった一番近くの大きいホームセンターに行くとき、初めてはぬけちゃんに声をかけられた。声、といってもはぬけちゃんはネコなのでまさしく「声」であって、言葉をかけられたわけではない。石垣に登っていたはぬけちゃんは「ニャー」といってわたしの足を止めさせた。もうすぐ梅雨が明けそうな晴れた日で、はぬけちゃんはちょっとベトついた夏毛であった。「ニャー」というたびに歯が生えていないピンクの歯茎がちょっと見える。なつこくてどうやら首輪もしているので、どこかで飼われているネコのようだった。
このあたりに外で暮らしているネコが多いのはなんとなく知っている。引っ越し屋が混み合っていてトラックが遅れ、なんにもない部屋に貸し布団を敷いて寝ていたとき、窓越しに野良ネコと目があった。窓を開けようとするとすぐに逃げてしまったが、首輪はなく、耳がカットしてあった。うちからちょっと駅の方にいったスバルが停まっているお宅にも耳カットされているネコがたくさんいる。片耳が桜の花びらのようにカットされているネコは不妊・去勢手術済みのネコである、というのは実家で購読していた愛猫雑誌の特集記事で知った。外で暮らす特定の飼い主がいないネコや野良ネコが、それ以上増えないように捕らえ、避妊手術して耳をカットし、元いた場所に戻す。あるいは室内で飼えるように慣れさせてから里親を探す。人に慣れず元の場所へ放すときはその後も十分にエサや水が採れるようにする。こういうネコは野良ネコとは区別して「地域猫」といったりする。おそらくスバルのお宅も餌やりや世話をしているボランティアさんなのだろう。ネコが好きな人にはたいていこの地域猫の考えは受け入れられていると思う。ネコの幸せをヒトが決めることはできないが、外で野垂れ死ぬ可能性が高いネコが繁殖するよりは、いま生きているネコに健康に寿命を全うしてほしい。
引っ越し早々うちを覗きに来たネコも、別のお宅で世話されている地域猫であった。我が家の周りにわたしより前からいる先輩ということで、なんとなく「ボス」と呼んでいる。たびたびうちを覗きにきては、わたしが近付こうとすると逃げていく。興味はあるようなのだが、積極的な接近はしてこない。ボスはものすごく臆病なのだ。
うちの裏にある大家さん宅の庭先を抜けて、反対側の通りへと続く細い道がある。本当にネコくらいしか通れないような隙間だ。そこを通る途中にアパートがあって、そこの二階バルコニーにボスの寝床がある。ボスはうちの窓辺にきたときにしか見かけないネコだったが、ある日散歩の途中にボスがいたのであとをつけたところ、寝床が判明したのだった。
アパートの住人はボスをきいろちゃんと呼んでいた。瞳が黄色いのできいろちゃん。そこでは多くのネコを保護していて、ごはんの時間になるとポツポツとネコが集まってくる。みんなの名前を教えてもらったが覚えきれなかった。ボスはごはんの時間にみんなと集まらないので、別にもらっているのだそうだ。朝はバルコニーで鳴いてエサと白湯をもらうが、早く皿に盛らないとパンチをしかけてくるという。わたしもちゅ〜るを買ってきてあげたときパンチをくらったことがあるので、ボスはどうも陰気なうえに短気みたいだ。
ボスは出産を経験したことがあるというのも教えてもらった。二匹の子を産み、どちらも県内の里親にもらわれていったのだという。都会とはいえ冬は氷点下になることもあるし、車に轢かれてしまうかもしれないし、動物を虐待する輩に捕まるかもしれないし、外で生きるネコには命の危険がものすごくたくさんある。ネコ自身がほかの動植物を傷つけてしまったり、他人の持ち物を排泄物で汚してしまったりと、危害を加える側になってしまうこともある。そういうことを考えれば、子どもたちはボスと一緒に外ですごすよりはどこかのおうちの中で飼われたほうが長く、平和に生きられる。出産後に避妊手術を受けたボスは、その性格から外で地域猫として生きるほうがいいということになったのだろう。
ボスはかわいい。少しはわたしの存在に慣れたようで、ちゅ〜るを手で持っていると食べにくるようになった。しかしペットではないので撫でようと手を伸ばそうものなら爪を出してスパーンとたたかれる。少しでも触れ合いを求めようとすると不審がっておいしいちゅ〜るを放り出して逃げていってしまう。遊ぼうとして頭を窓から出していたらおでこをやられて流血したこともある。それでもわたしの影をみとめると、家の前で足をまるめてお座りをして待っていたり、開けた窓からそっと侵入してきたり、駆け引きしているようで憎めない。かわいいやつなのである。
かたや、はぬけちゃんはまったく違う。人たらし甘えん坊の天才おキャット様だ。集配所の駐車場のところで日差しを浴びて丸まっている。「ニャーン」と鳴いて人を呼び寄せて、気がすむまで撫でてもらう。最近では寒い日には膝によじ登ってきて抱っこをせがんでくるようになった。小さい生き物が自分を信頼して身を寄せてくるというのはなんと心が踊るのだろう。ほんとにかわいい。
書いた通りではぬけちゃんには飼い主がいる。通称、シュウマイ婆だ。洗濯のしすぎで蒸しシュウマイみたいに小さくくしゃくしゃに縮まった布マスクを顔の中心にのっけている。憎しみをこめてこう呼んでいるのはわたしだけだ。
ある日ホームセンターで買い物をしたあと、いつものようにはぬけちゃんを撫でているとシュウマイが来て言った。
「そんなに気に入ったならこの子を連れて帰っていいよ。」
おばさんのネコちゃんですか、と答えるとシュウマイは、アキちゃんはね、と話し出した。
はぬけちゃんはアキという名前らしい。以前飼っていたアキという名前のネコが行方不明になってしまって、ちょうどそのころに現れたので同じ名前をつけたという。シュウマイ宅には他にもネコがいるがいずれも家と外とを自由に行き来できる環境で飼育しており、避妊手術は受けさせていないようだった。
「おばさんとこで生まれた子もいるよ、ネコが欲しくなったら産ませるから。」
だからアキのことを気に入ったなら別に連れて行っても構わない、アキは他のネコに嫌われているし、と言うのだった。衝撃的だった。自分の飼っているネコなのにそんな容易に、そんなことを言うのだ。このシュウマイ婆は。ショックだった。こんなにかわいいはぬけちゃん、どうして他の人にあげるなんて簡単に言えるのだろう。こんなになつっこくて人が好きな性格をしているのに、飼い主のシュウマイからはその程度の関心しか向けられていないのだ。
生まれて初めてネコを思って泣いた。この賃貸住宅では動物を飼えない。ネコを養えるような家計でもない。はぬけちゃんの幸せを思うけれど、わたしがはぬけちゃんを幸せにすることはできない。ネコが幸せかどうかなんてわからないけど。でも、ネコが実際に幸せを感じているかどうかヒトにはわからないので、「ネコの幸せ」について考えられるのはヒトだけのような気もする。なんて哲学みたいな感じになって、理屈をこねる。シュウマイ婆にも腹が立つけど、はぬけちゃんの幸せにかこつけてはぬけちゃんを独り占めしたいだけなんじゃないかと思いはじめて自分にもイライラする。これってエゴだ。結局はぬけちゃんをなんの責任もなく無料でかわいがるしかできない自己中人間だ。
そんな風に自己嫌悪してみたところではぬけちゃんに「ニャー」と言われればにこにこして、撫でにいく。膝に乗られれば、どうしようもなく堪らない気持ちになって、抱きしめる。足が痺れても、はぬけちゃんがもういいと降りるまでしゃがんでいる。
あるとき日なたで寝そべっているはぬけちゃんを邪魔しないようにそばで立って観察していたら、はぬけちゃんに呼びとめられる人のなんと多いことか。小学生も、集配所の自転車も、近所の人も、はぬけちゃん目当てにわざわざ散歩コースを変えたという人まで、いろいろいた。はぬけちゃんはねこちゃんとかにゃーちゃんとかそれぞれの名前で呼ばれ、全部に「ニャー」と返事をしてなつっこく撫でられている。
それを見て、わたしははぬけちゃんへの愛情をもっと淡白な、その場限りのものにしようと努めている。責任をもって飼えない以上、憎きシュウマイとわたしは同列なのだ。深入りはできない。近所にはたくさんネコが歩いている。じゃれついてくるイヌも最高だ。散歩の楽しみは歩くほど続いていく。
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