小野小町 罪作りな美女/あるいは苦労人のストーカー被害者(吉田瑞季)

 「すきです けっこんしてください」

 「は?」
小町は手紙を二度見した。

 この筆跡、このアホみたいな文面、昨日も見たけど?
小町の家には毎日大量の恋文が来る。
晴れているときは20通くらい。雨や雪ならまあ10弱。

 元来の生真面目さで、小町は一応全部目を通している。どうせ捨てるんだがな〜と思いつつ、時々おもしろい和歌を送ってくる男もいないではないので、なんとなく惰性で全部読んでしまう。

 とはいえ、2日続けて同じ手紙を送ってきたやつは初めてであった。
手紙には「少将」と署名してある。
冷やかしにしてはしつこいんだよな……と、火鉢に手紙をくべた。
季節は秋も中頃。風は涼しいというより、ひんやり、という手触りに変わり始めていた。

 数日後。
「すきです けっこんしてください」
また来た。また来た、というか、これで5通目?とかじゃね?
さすがに小町は苛立ってきた。

 小町は確かに美女として知られ、お前、顔の噂だけで口説いてんだろ、みたいな恋文はわんさか来る。慣れている。
しかし、教養人で知られた小野篁の血縁で、和歌の名手としてのプライドだってある。
実際、まあバカじゃない男は、下手くそでも必死で考えた和歌なり気の利いた言葉なり、季節の植物なりを贈ってくる。
口説くにしても相手の興味とか好みとか考えるのが、好意をもっている人間の最低限の礼儀じゃん?

 「すきです けっこんしてください」
わかった。「少将」よ。おまえはアホなのかもしれない。アホでもいいからなんか考えてくれ。考えられないならもう送ってこないでくれ。

 小町は火鉢に手紙を突っ込んで、火箸で念入りに奥の方にねじ込んでおいた。

 「あのー!すいませーん!少将ですけどー!」

 秋も深まってきたある日の早朝、小町は誰かの大声で目を覚ました。
は?誰?うるさいんだけど?

 無視して二度寝しようと褥に潜り込んだが、誰かは叫び続けている。同じ文句を繰り返し繰り返し、気の抜けた大声で……

 ぱたぱたと急いで誰かが外に出た足音がした。
同時に侍女が小町の部屋に来て、
「なんか変な人が家の前に来てて、いまじいやさんが外に見にいってます…… なんなんですかね」
と不安げに声をかけた。

 まじかよ。我が家に用なのかよ。
しかし、じいやは父の代からこの家を守っている、有能な使用人である。薪割りから不審者追い払いまで、バリバリこなすムキムキの頼れるじいさんだ。
ま、大丈夫でしょ。

 「ちょっと!!!小町ちゃんに会わせてくださいよ!!!!」
ひときわ大きな声で外の不審者が叫んだ。

 は?なに?いま「小町ちゃん」っつった?
小町「さん」やろ。ていうか誰やねんおまえ。

 不審者の声がでかすぎて、門の外の出来事も寝室まで丸聞こえである。
じいやはいつもどおり、「主は殿方にはお会いになりませんので……」と丁寧に応対しているが、相手の方は
「手紙を!出したから!小町ちゃん俺のこと知ってるから!少将っていえばわかるし!!」
と繰り返すばかりだ。

 「少将」? 「少将」……?
あ、あれじゃね? あのアホの手紙のやつじゃね……?

 少将はマジで人の話を聞かなかった。じいやはついにキレた。
「お帰りください!」
さっきまで丁寧だった人が怒ってビビったのか、少将は帰った。
小町と使用人たちは、「ヤバかったっすね……」などと言い合いながら、胸をなでおろした。

 翌朝。
「小町ちゃーん!!俺!少将!!」
ウソだろ。
屋敷の全員がそう思った。
なんでこいつ夜明けとともに来るわけ?
あと昨日より馴れ馴れしくなってない?
小町は頭痛を感じた。気を利かせた侍女が白湯をもってきてくれた。白湯うまい。

 今日もじいやが応対に出た。
昨日はキレたじいやにビビって帰った少将だったが、なぜか今日は強気だった。
「小町ちゃんにちゃんと俺のこと伝えました? 小町ちゃんと直接会わせてもらえれば、俺たちの仲がわかると思うんで。おじさんが勝手に俺のこと小町ちゃんから遠ざけるのやめてくださいよ」

 伝えるも何も、屋敷中どこにいても聞こえるんだが。ていうか「俺たちの仲」って何? 存在しない関係を言うな。

 じいやが一旦家の中に入り、部屋の外から、「どうしましょう? ほんとうに姫様のお知り合いですか?」と聞いてきた。

 「そんなわけないじゃん」
小町は即答した。
「ですよね……あいつ本当に会えるまで帰らないつもりっぽいんですけど、どうしましょう」

 どうもこうもない。会うわけない。
「手紙でも渡して帰ってもらいましょうよ」
じいやは懇願するように提案してきた。

 えー……。手紙か……。だるいな……。
しかし、会うとか放置するとかよりはなんぼかマシな選択肢に思えたので、小町は筆を取った。

 われながらほれぼれするような美しい筆跡で、次のように書いた。

「少将さま
はじめまして。
少将さまはお手紙をくださいましたね。
お会いしたこともないのに、すき、とか、けっこん、とかおっしゃるので、わたくし驚きました。
少将はわたくしの噂を聞いてお手紙をくださり、うちまでわざわざお越しくださったのでしょうか?
ありがたいのですけれど、きっと少将さまのような流行に敏感なお方は、100日もすればわたくしのことなどお忘れになって、別の方のところにお通いなさるのでしょう。
やがてご縁がなくなることは、悲しいことですから、最初からあきらめてわたくしは身を引きます。
わたくしは少将さまには、もったいない女ですから。

小町」

 手紙を受け取った少将は、喜色満面でその日は帰った。
小町と使用人たちは安堵した。

 しかし、少将は彼女たちの想像をはるかに越える存在だった。

 恐怖はここから始まる。

 翌朝。
「小町ちゃん!」
元気よくまたあの声が聞こえた。
家中の者は全員戦慄した。「ウソだろ……」と。

 じいやが応対する前に、少将は勝手に語り始めた。
「小町ちゃん…… 俺、小町ちゃんの不安な気持ち、知らなかったよ……ごめんね…… 俺、小町ちゃんのために、今日から100日、この家に通い続けるから! 100日目に俺たち、夫婦になろうね!」

 小町は、皮肉たっぷりの手紙の皮肉部分に(皮肉)と書かなかったことを後悔した。

 都の暇人たちに、この噂は一瞬で広まった。
しかも、こういうのはたいてい声のでかい方の主張が広がるのだ。

 「小町、少将に、100日通い続けたら結婚してやるって言ったらしいよ」
「さすが美人は強気だな〜」
「少将も無理難題言われてかわいそう」
「ロマンティック〜〜〜!100日後に本当に結ばれるのかな」
「小町ももう少しかわいげがある性格ならな〜 俺はああいうきつい女は無理だわ」

 諦め。小町の心は諦めで満ちていた。
お前らも毎朝家の前で絶叫されてみろよ……。

 最後の望みは、100日通う、という少将が勘違いで設定した無理ゲーを、少将自身が諦めることだ。
まあさすがに100日は無理やろ、これから真冬だし……と思いつつ、小町は不安だった。
小町の孤独な戦いが始まった。

 不安は的中し、少将はひと月諦めずに通ってきた。
毎朝うるさいのは辛いので、「周りに聞かれると恥ずかしいから」とかなんとか言って、とりあえず叫ぶのはやめてもらった。
じいやのストレスが限界に達したため、対応は交代制になった。とはいえ、若い侍女はマジで怯えてかわいそうである。
屋敷内を重苦しい空気が包んだ。

 ふた月目も、少将は諦めなかった。
そのパワーは一体どこから来るのか。
小町は恐怖した。
恐ろしいことに、屋敷の人々の中には諦めを通り越して、「もう結婚してよくない?」と言い出す人も現れた。「あれだけ熱心なら、大切にしてくれますよ」
いやそんなわけないだろ。あいつ、こっちの話をまったく聞かないんだぞ。あいつの大切にする、がわたしを幸せにすると思うか?
だんだん消耗していく小町を見て、じいやや乳母たちベテランの使用人たちは心を痛めた。

 99日目。
大雪が降った。
小町は疲れ果てていた。
90日目くらいから、ほとんど寝ていなかった。
結婚を回避するためには、もう出家しかないのか……
覚悟を決めて、知り合いの寺に手紙を書いた。
住職は「まだ若いし、結婚してみてダメだったら出家すれば?」という返事をよこした。
ダメだったら、とかではなく、マジで嫌なんだってば!と、声に出して叫んでいた。
最悪の場合、即髪を切れるように、小刀を研いでおいてほしいとじいやに頼んだ。
乳母に、じいやが「わしがちゃんと追い払って入れば……」と泣きながら小刀を研いでいた、と聞かされた。
乳母と小町は抱き合って泣いた。

 雪は夜中から朝まで降り続き、空はずっと暗く、いつが夜明けだったのかわからないほどだった。
いや、今日はいつも夜明けを告げる存在がいない。屋敷の者たちは、誰からともなくそわそわしはじめた。

 昼、雪がやんだ。庭木の枝に積もった雪が、日の光で溶けてきらめきながらしずくを落としている。
少将は来なかった。
いや、大雪で朝は諦めたが、夜までに来るかもしれない。
そう警戒しながらも、小町と使用人たちは期待でそわそわした。

 日が暮れ、ついに99日目が終わった。
少将は来なかった。

 小町は、安堵のあまり乳母にすがりついて泣いた。文机の上には、じいやがよく研いだ小刀と、髪を入れるための箱が用意してあった。

 しばらくして、道路脇の雪の山の中から、身なりのいい男の死体が見つかった。

 人々は、小町を悪女と呼び、少将を憐れみ、きっと小町には少将の幽霊が取り憑いているに違いない、と噂した。

 しかし、小町は穏やかだった。「幽霊が取り憑いた悪女」に送られてくる恋文は激減した。
気味が悪い、と屋敷を辞めた使用人もいたが、小町は自分のことを理解してくれる人だけがそばにいてくれればいい、と思った。

 小町と同じように美人だった叔母が、昔「年取ってからが人生やで!」と言っていたが、本当にそうなんだろうな、と今は思う。

 「早く婆さんになりてえな〜」
小町はひとりごちた。

・著者プロフィール
吉田瑞季
オタクに夢を売る仕事をしているオタク
演劇・古典芸能・ヤクザ映画・詩歌

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