【ゆにここエッセイ】鬱病大学院生、川で揚げパンを食う(高島鈴)

 春のゆにここお散歩エッセイ企画。第三回は、鬱と引っ越しについての文章をお送りします。春に調子を崩す人もそうでない人も、どうぞ無理せずお過ごしください。

書いた人:高島鈴
ライター、アナーカ・フェミニスト。寄稿した書籍『ヒップホップ・アナムネーシス』(山下壮起・二木信編著、新教出版社)が発売中。

「やべー、春だ」

 思うより先に、そう口を突いて出た。火がついたら一瞬で燃え広がりそうな、からからに乾いた砂色の枯れ草が、あたり一面に広がっている。地図には川と書いてあったけれど、実際に歩いてみるとほとんど水はなかった。空が広い。湿気のないつんとした空気に、日差しばかり暖かい。川(という名の窪み)のすぐ脇では、子どもたちが野球の練習をしている。監督なのかそうでないのか不明瞭な老人が、小さな人の投球を眺めており、その傍にはしっぽの丸まった柴犬が大人しく座っていた。目に入る風景、目に入る人、何もかも初見だというのに、なぜか新しくない。不安の波は来ない。本当に、嘘のような平穏である。

「このへんでいいか」
「いいね」

 ずいぶん歩いて、足もなかなか疲れてきたところだ。私は友人と適当に場所を定め、縁石の上に腰掛けた。提げてきたビニール袋の中には、先ほど揚げてもらったばかりの揚げパンが入っている。私はココア味、友人はきなこ味。「川で揚げパンを食う」。それが今日の目的だった。

「やばい、日曜日じゃん……」

 何度も目の前にある風景、今ここにあるものを口に出して確認してしまう。たぶん私は、自分の現実を受け止めきれていなかった。暖かい光、休日を過ごす人ひとりひとりの生きた時間が流れている「日曜日の水辺」という空間、そういうもの全部が、「穏やか」に、「在る」。それら全てが信じ難い出来事に思われて、何度も瞬きをした。花粉が目に滲みる。油紙の袋に入った揚げパンを取り出し、そのまま頬張る。

「うまい……」

 本当にそのまんまの感想だ。川で揚げパンを食べ、「うまい」と言う。言葉にすれば何も変わったところのない、心からどうでもいい場面だろう。それでもそのときの私にとって「川で揚げパンを食う」ことの完遂は、自分が何かを回復する過程にあるとようやく思えた、重要な瞬間だったのである。

 二月の終わり、私は実家を出て引っ越しをした。理由はシンプルで、鬱病をどうにかするためだった。

「この家で鬱病になったら私は死ぬと思う」。鬱になる前、親にそう発話してしまったことがある。言いすぎた、とは思ったが事実だった。実家において、時間/空間を分節する力はいつも私の手にはない。この不自由を、私はそれまで外へ出ることで解決してきたが、パンデミックはその選択肢を私から奪っていった。やがて起き上がれなくなり、声が出なくなり、指一本動かすことも億劫になった。そのような状況を半年以上どうにかやり過ごしてきたが、限界は近いとなんとなく理解できていた。このままここにいたら、本当に何もできない。
 なけなしの貯金を、ついに使う時が来たのだと悟った。少し動けるようになってきた時期に、一日で物件を決め、翌月に入居した。

 新しいホームタウンに降り立ったのは、引っ越し当日のことである。全く知らない町だ。全く知らない建物が並び、全く知らない人が行き交っていた。

 ぼんやりと立ち尽くす。どっちに歩いていいのかもわからない。実家から携えてきた新品のスーツケースは、よく確かめずに通販したせいか私が持つにはかなり大きく、すでにあちこちにぶつけて傷だらけになっていた。コートのポケットに手を突っ込んで、もらったばかりの鍵があることを確認する。とりあえずGoogleマップを開き、新しい住所を検索した。「経路」を押せば、全く知らない道が提示される。すでにかなり疲れている。ここ数週間の自分の生活と比べると、信じられないぐらい動いていた。それでも歩かねばならない。今日から私は自分で自分の暮らしを成り立たせねばならないのだから。

 たどり着いた家は本当に空っぽだった。新居なのだから当たり前なんだけれど、それはもう、本当に何もなかった。手を洗おうとして蛇口を捻り、あ、水の元栓もいじらなきゃいけないんだ、と初めて気付く。スーツケースを脚立がわりにブレーカーを上げて、ようやく明かりが灯る。

 何もないフローリングにおそるおそる荷物を投げ出して寝そべって、ようやく息を吐くことができた。見慣れない天井を眺めながら、やっとここまで来たのだと思う。
 本当に長い時間がかかった。

 タイトルにある通り、私の身分は大学院生である。大学院には二年間の博士前期課程と(単位を取るだけならば)三年間の博士後期課程があり、私は後者に進学していた。博士後期ともなると、基本的には放任である。先生が毎週課題を出してくれるとか、定期的に様子を見て尻を叩いてくれるようなことはなく、自分でこつこつ研究をして、その途中経過や成果について教授が指導してくれるシステムだ。当たり前だが、研究しなければ何も進まない。

 私は焦っていた。手を動かすしかない状況で手を動かせずにいたからである。大事な博士課程の三年間、そのうち一年を棒に振ってしまった。本当にずっと焦っていた。論文を書かなくては、研究報告をしなくては、本や資料を読まなくては。気が逸れば逸るほど身動きが取れなくなった。そうこうしている間にも周囲はみな自分のなすべきことを進めていて、焦りはさらに増した。先に鬱になった友人は、かつて私に「先のことを考えたら死んじゃうよ」と教えてくれたけれど、それは本当にその通りだった。見えない将来を見ようとしたら、全部潰れてしまう。

 この状況は今も続いている、とひとまずは言っていい。私は焦っていて、作業の手は遅い。それでも少しマシになりつつあると感じられるのは、やはり引っ越してきて、少しずつ自分の時間を自分の手で掴めるようになってきたからだと思う。

「日曜日のお昼、川で揚げパンを食べよう」

 気付いたら、友人にそう提案していた。私の家のそばに揚げパンを売る店があったこと、友人が前から川に行きたいと話していたことが組み合わさって、そういう話になった。自分で提案しておきながら不思議な気分だった。昼間に外に出ようとしている、自分から人を誘っている、そして新しい街を楽しもうとしている! とっくに枯れ果てていた井戸の底に、わずかな水が光ったような感触があった。休憩を挟まねば一食食べ切るのも難しかったのに、川のほとりにしゃがんで食べた揚げパンは、ものの数分で消えてしまった。

「もう食べちゃった」

 また私は、見ればわかることを言う。揚げパンが入っていた袋をくるくると畳んでリュックにしまう。やることもなくなって、ぼんやり前を見る。小さい人たちは、また懸命にバットを振り、なにごとか声を上げている。隣で友人がもぐもぐとパンを頬張る音を聴いている。音はそれぐらいだった。頭の中が驚くほど静かだ。目の前にあるものをそのまま受け止めて、いったん明日の、一年後の、三年後の自分を忘れる。それだけのことを、久しぶりにしたような気がする。

 何かが変わったわけでもない。まだ私は薬がないと生きていけないし、朝は起き上がれないし、ちょっと動いただけで何もかもに疲弊してしまう。
 それでもとりあえず、私は未来を忘れる練習をしている。その姿勢が常にいいとは全く思わない。それでも、今を生き延びる選択ができるなら、ひとまずそれでいいと思っている。

 外は暖かい。おもむろに歩き出す。名前のわからない、紫の花が咲いている。大荷物の小学生とすれ違う。
 「春だ」
 口に出して言う。誰の返事も必要のない、好きだとも嫌いだとも言えない、ただ目の前にあるだけの春を見る。


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