【ゆにここエッセイ】私作る人、私食べる人(そんゆか)

「料理」をテーマにお届けしている、今月のゆにここエッセイ特集。初回は「都市農夫」として自ら畑を耕しているライター・そんゆかさんにご寄稿いただきました。
自分が食べるものを、自分で選び、自分で作る。そんさんの生活者としての意識に耳を傾けながら、一緒に食という生活実践について考えてみませんか。

書いた人:そんゆか
ライター。15坪を耕す初心者マークの都市農夫。在日コリアン。

母が昔、家族が出払う日には「一人の日はご飯を適当にできるからいい」と言っていた。
毎日家族の食事を作る人には共感できるセリフなのかもしれない。

私と母は親子だけれど、全く違う人生を歩んでいる。
私にとって一番幸せなことは、自分のために丹精込めておいしいものを作り食べること。

前にTwitterで、家庭料理に縁遠いことを嘆く独身男性に対し、「自分で作ればいいのに」と言ったところ、「独身者が自分で自分に作るものは家庭料理とは言えない」と返されたことがある。
私は日々自分が作り食べているものまで価値が低いものとされたように感じて、傷ついた。

確かに誰かが作ってくれた料理はそれだけで格別のおいしさがあるけれど、例えば、過去に家族が作ってくれた思い出の料理を自分のために再現するのは、紛うことない家庭の味だ。なぜそこに線引きをする必要があるのだろう。

思えば他者に愛されることよりも、自己愛の方が価値の劣るものとして扱われているような気もする。なぜなのだろう。

撮影:そんゆか

私は韓国に2年住んでいたことがある。その時は下宿に住んでいて、郊外に自家菜園を持つオーナー夫妻の、おいしい韓国料理を朝夕食べていた。

仕事の昼休みには、食堂をよりどりみどり選び放題で、本当に食に関する満足度の高い毎日を送っていた。

ただ、私は好きな時に思い切り料理をできないことが、ずっと寂しかった。
その時、食べることと同じくらい、作ることも好きなんだとわかった。

下宿の共用キッチンで、たまに料理をした。
ある時は塩鮭がどうしても食べたくなり、カナダ在住日本人の方のブログを頼りに作った。
近所のスーパーに生の鮭がなく、ソウルで一番大きな水産市場にわざわざ行き、台風の影響で値段が上がっていた鮭のかたまりを買った。

自分で塩蔵した鮭を焼き、おにぎりにして食べたら、泣きそうなくらい美味しかった。
料理は好奇心や創作意欲を満たし、ストレスも解消でき、その上海外でも食べたいものを食べたいように作れる、本当に有用なスキルだ。

今は日本に住んでいて、自分だけのキッチンがある。韓国での暮らしや、その後一時的に家族と住んだ時期を思い出すと、共用ではない自分のキッチンがあるということが本当に重要なことだったんだと気づく。

撮影:そんゆか

あとは今食べたいものを今食べることも、既にとても重要なことになってしまった。
そのため、もう人と共同生活が送れないかもしれない。

母と同居していた頃、体調が悪い時に限って大量の肉料理などを作っておいてくれたりして、それを残したり手を付けなかったりすると嫌な顔をされるのがストレスだった。私はもう食べ盛りの中学生ではないのだと言いたかった。

私は都度食べたいものを食べるために買いだめはしない。冷蔵庫が小さいということもあるけど。だからもらい物とか、「今日はあれを食べなければ」という状況にも薄っすらとストレスを感じる。食べたいものが思い浮かばない日は、自分の健康状態が心配になる。

撮影:そんゆか

以前、韓国のコメディアン、パク・ナレ氏とSHINeeのKey氏がテレビ番組「私は一人で暮らす」で、「忙しくて自炊できない日が続くと、自尊心が低下する」と言っていて大いに共感した。疲れていたり体調が悪かったりすると、手軽に食べられるものに頼ることになるけれど、それをやり過ぎるとさらに元気がなくなるという悪循環に陥る。

食べ物に執着しすぎのような気もするけど、コロナ時代に突入してからは、食べ物に大きな幸せを見いだせる自分でよかったと特に感じるようになった。

作ることも食べることも好きな私は、家の中に閉じこもっていても窮屈じゃない。自分の部屋の中に世界があるような自己効力感すら感じる。

撮影:そんゆか

自分で野菜を育てるようになってからは、なおさらそうかもしれない。
私たちはスーパーで自分の好きな野菜を選んでいるように思うけれど、実は本当に限られた選択肢しか与えられておらず、それに慣らされてしまっている。

去年の秋、自分の食べたい野菜がお店にあまり売っていないという理由で畑を始めた。今はそこから一歩進んで、自分の食べるものを自分でコントロールする権利や能力を、生活者の手に握っておく必要があるという思いで都市農夫(見習い)をやっている。

国の農業政策からも流通事情からも自立して、自分の好きなものを作り食べるということ。
食べ物の問題を自分で解決できるということは、何よりも強力な自立だ。

撮影:そんゆか

そんな私でも、もちろん料理が面倒な時もある。
家族のための料理を担っている人には、それはなおさら切実な問題だろう。
2021年の今でも料理は女性の仕事とされがちだけど、料理が誰かを縛る足かせであってほしくない。
誰かのための料理を美徳として女性に期待するのはもうやめて、自分のために料理をすることの価値がもっと認められてほしいと思う。

母にもたまに、自分のためだけに作る料理があった。
青唐辛子が死ぬほど入った、激辛のテンジャン(みそ)チゲだ。
韓国カボチャの代わりにナス、韓国みそのような風味を出すために赤みそと納豆を入れる。
韓国の人にはヘンテコなレシピに見えるらしいけど、韓国食材が手に入りづらい時代からずっと作り続けたものなのだろう。

母はストレスがたまると辛いものが食べたくなると言っては、他の家族が食べないその料理を自分のためだけに作った。

私と母は全くわかり合えない間柄だけど、彼女に自分のためだけの料理があることを、私は嬉しく思う。

撮影:そんゆか

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