※この記事は、ゆにここ編集長・川野芽生が上梓した歌集『Lilith』のあからさまマーケティング記事です。
『Lilith』 川野芽生
第29回歌壇賞を受賞し、幻想小説も発表する著者の鮮烈な第一歌集。“叙情の品格、少女神の孤独。端正な古語をもって紡ぎ出される清新の青。川野芽生の若さは不思議だ、何度も転生した記憶があるのに違いない。”
――山尾悠子書肆侃侃房
ここに『Lilith』という本があります。これは短歌の本です。小さな物語が寄り集まった、箱庭のような本です。
もしあなたが、英国式の薔薇咲く庭が好きなら、この本はおすすめです。
あなたが、竜や不死鳥やほかの想像上のうつくしいいきものが好きなら、この本はおすすめです。
あなたが、萩尾望都や竹宮惠子の描く人々や風景に心焦がしたことがあるなら、この本はおすすめです。
あなたが、古書店で古くて風変わりな詩や物語の本を探すのが好きなら、どうぞ、この本をお手にお取りください。
正直に言うと、易しい本ではありません。かたわらに、よい辞書をご用意してお読みください。でも、誠実な本です。
では、冒頭の短歌連作「借景園」をご紹介しましょう。
廃園にあらねど荒ぶれる庭よわれらを生きながら閉ぢ籠めて
ひとびとは老いて去りゆく 最愛の季節の花の庭を遺して
森のような庭をもつ家があります。あなたも見たことがあるかもしれません。かつては季節ごとの花々が、まるで見事なリレーのように途切れなく咲き続け、手入れの行き届いた美しい庭だっただろう庭です。
でも、人が老いるように、庭も老いる。今では、うつくしさの名残を残しながらも、植物たちがその獰猛さを隠すことなく繁っています。
少女にて薔薇の病葉むしるとき隣家に女主人惚けつつ
茉莉花の株を頒(わ)けむと老いびとの小さき双手は垣越しに来し
(カッコ内はルビ)夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの
そんな庭を手入れしているのは、老いた女主人だったようです。花の手入れをするとき、少女のような快活な喜びに瞳はきらめき、夢中になるのでしょう。
おなじ無邪気さで、ジャスミンの株を分けてあげる、と泥のついた手をこちらに差し出して来るのかもしれません。
少女のような顔を見せるおせっかいな高齢の女性、というと、わたしはミス・マープルを思い出します。
わたしにとってのマープルは、グラナダ・テレビジョンが制作したテレビドラマ版で、ジェラルディン・マクイーワンが演じたマープルです。チャーミングでうつくしい、でもどこか厳しさのある知性を秘めた人。
あるとき隣家の女性は、庭に現れなくなり、庭にはしおれた花が降るままになってしまったようです。家と家、庭と庭の境界を越えて落ちてくる花を見て、初めて彼女の不在に気づきます。花は彼女。彼女は花。花の命は彼女の命。
借景を失ひしゆゑわが庭も芝居小屋たたむやうにさみしき
庭木戸を見知らぬものにひらくときskirtにまつはる薔薇の棘
そして森のような庭は、すっかり更地にされ、切り分けられて、小さな家がひしめき立つ住宅地になってしまいました。
花の終りは季節の終り ひとの手が咲きつつしぼみつつ花殻を摘む
森のような庭は消え、花も、そして老女も消えて、庭にあった命の営みも、みどりの葉ももうありません。
マープルが住むセント・メアリ・ミード村のような、庭と家と人の暮らしが絡み合う景色が、日本のどこにでもある小さな家の集合体に変わってしまった。
庭の消失は、いつか「ここって前何があったっけ?」と忘れてしまうような、ありふれた、当たり前の出来事だったかもしれません。
ジャスミンの花を手渡された人も、ジャスミンが枯れて香らなくなれば、もうあの庭を思い出さないのかもしれない。
さみしさすらも、いつかは消えてしまう。
こんな小さな物語が、Lilithの中にはたくさんちりばめられています。
「リリス」は、創世の物語から追い出されて、悪女や女妖怪に変えられてしまった存在です。
この本では、そうやってたくさんの「語り」から追い出され、消されようとする存在を紙の上に言葉で刻み、彼女たちを追い出そう、消そう、とする力に抗おうとしています。
世界が庭や花や老女を消し去り、忘れ去ろうとしても、この本がある限り、わたしは彼女たちとなんども出会うことができるのです。
さあ、空色の扉を開けて、この庭にいらっしゃいませんか?
・著者プロフィール
吉田瑞季
オタクに夢を売る仕事をしているオタク
演劇・古典芸能・ヤクザ映画・詩歌