仮想世界のレインボーフラッグ――ゲーム空間は“私たち”に開かれるのか?(近藤銀河)

『Watch Dogs2』(2016,UBI)よりカストロ地区のスクリーンショット(撮影:近藤銀河)

 コロナが蔓延する状況下で迎えたプライドマンスに、ゲームの仮想世界の中にレインボーフラッグを探しに行ったアーティスト/ライターの近藤銀河さんによる記事です。

書いた人:近藤銀河
ライター、アーティスト。女性同性愛とアートの関係について研究と創作を行っている。

※この記事にはゲーム『サイバーパンク2077』『Tell Me Why』に関する内容が含まれます。

 2016年に発売されたゲーム『Watch Dogs2』を起動すると、モニタの中にきれいなCGで再現されたカリフォルニアが広がっていく。このゲームの主人公はハクティビストでこのゲームの目的はハッキングで企業に喧嘩を売ることだけど、私はもっぱら街をうろつくのに専念している。

 主人公たちが根城にしているアジトから少し足を伸ばし、いくつかの交差点を渡るとカストロ通りに行き当たる。サンフランシスコのクィアコミュニティの中心地であるこの一帯はゲームの中でも忠実に再現されていて、レインボーカラーの横断歩道や建物のあちこちに掲げられたレインボーフラッグを見ることができる。

 公園に向かえば大きなレインボーフラッグも見えるし、街のあちこちに同性のカップルがいたりもする。ハッカーらしく他人の個人情報にアクセスすれば、さまざまなマイノリティが暮らしている街の様子がよくわかる。

 だがそこでは表面的なインクルーシブ以上の深層は何も見えてこない。主人公たちは反資本主義的な言説を掲げ、グラフィティやコラージュを使って大企業の悪事を暴いていくが、大企業による中途半端なレインボーフラッグの利用(それはとてもありがちなことだ)をどう考えているのだろうか? 答えはわからないし、ストーリーでもこうしたことにはほとんど触れられない。

 私はこういう現象を現実でもいつも見かける。たとえばマルイはインクルーシブな店作りを掲げていて、店内に入るとポツンとなんの説明もなくただ置かれたレインボーフラッグを見かける。それを見るといつも、ヤッタネ!とナメンナヨ!という二つの思いがほとばしる。一方ではそこに至るまでの経緯と達成されたことの良さとか、少なくとも排除しない方針を明確にしていることへの喜び。もう一方ではそれが接客や商品といった資本主義で流通するモノとして制限されていて、本来レインボーフラッグが持っているはずの変革と異議という文脈が失われていることへの不安。

 6月のプライドマンスでも同じことをアチコチで考える。各種のプライドフラッグのイメージやプライドという言葉は資本主義によって簡単に漂白して、あらゆる色を落とすことができてしまう。形骸化したプライドにはそれでもインクルーシブやエンパワメントといった意味があるのだろうか?

 2020年に発売された『サイバーパンク2077』は、まさにこの点で私が詰まったゲームだ。タイトル通り2077年の未来を舞台にしたサイバーパンク世界を描くこの作品では、多くの登場人物が大企業により搾取され、抑圧されている。ゲイやレズビアンのメインキャラも登場し、個々のアイデンティティを尊重した形で人物描写がなされるこの作品だけど、私が指摘したいのはクレアというキャラクターの車に貼られたトランスフラッグだ。

 このゲームでは主人公のキャラクターメイキングの自由度も高く、たとえばヴァギナを持った男性など多様な身体を持ったキャラを作ることができ、ゲーム内でもさまざまな身体改造が描かれる。その一方で、トランスジェンダーとしてのロールプレイはできないし、トランスジェンダーに関するストーリーも膨大なサブストーリーの中にも見出すことはできない。

 そうした世界の中でトランスフラッグを掲げる彼女は、どのようなことを考え、感じ、何のためにフラッグを掲げているのだろうか? そもそもこの世界の中でトランスジェンダーの人々はどのように暮らしているのだろうか?

 この作品でそうしたことは語られない。ただ車両の片隅に、小さなトランスフラッグを見ることができるだけだ。その旗は、私たちの世界ではトランスへの迫害行動を否定し追悼するためにも掲げられていた。だけどこのゲームの中ではこの旗は無言であり、その背景は推察するしかない。彼女はゲーム内で閲覧できる設定資料では「トランス女性」と紹介される一方で、物語の中では彼女は何も語らない。なぜ語られていないことをプレイヤーは知ることができるのだろうか。トランスジェンダーのキャラクターが、かならずトランスの物語を語らないといけない、というのは不条理だ。けれど、この知っていることと知られていることの非対称さはいったいどうとらえればいいのだろうか。

 ゲーム内での広告では誇張されたペニスを備えた女性がたびたび映し出される。このような社会でトランスジェンダーはどうやって生きているのか。それを知る手がかりは一切示されない。『サイバーパンク 2077』は混沌とした自由な世界を提示することで、社会の中の複雑な構造を隠そうとしているようにも見える。この中に表れるトランスフラッグは、どんなプライドを語っているのだろうか。

 もちろん2020年に発売された『Tell Me Why』のように、プライドやフラッグを丁寧に使ったゲームもある。このゲームではトランジション(性別移行)をある程度経たFtMの主人公が、故郷の田舎町に帰り双子の姉と再会する物語が描かれる。主人公はかつて実の母親にトランスジェンダーであることを理由に殺されかけたため、正当防衛で母を殺してしまった過去をもつ。街の人々の彼に対する反応は、受け入れたポーズをわざとらしく取っていてどこかよそよそしく、時に偏見を直接投げかけられる。

 だからこそ「Tell me why」の舞台となる街で稀に目にするトランスフラッグやレインボーフラッグはとても重い意味を持つのだ。そしてその意味は、作劇にも生かされている。

 あるいはちょっと変わった例として、犯罪を題材にしたゲーム『グランドセフトオートV』のMODが挙げられる。

 MODとは有志が作ったゲームの改造プログラムのことで、このゲームのMODにはプライドパレードを再現するものがある。街中にレインボーフラッグが溢れ、フロートが繰り出し、元々のゲームを破壊するのはとても楽しい。このMODはオーランドでの銃乱射事件への追悼の意味もあり、ストックホルムプライドで作られた。(注:すでにMODの配布は終了している。)

 こうしてゲームを並べた時、海外を舞台にした作品ばかりが並ぶことに、海外企業や外資系企業のアイコンばかりがレインボーカラーになったプライドマンスのSNSの居心地の悪さに似たものを感じてしまう。

 プライドマンスが6月であるのはアメリカのストーンウォールの反乱によるものだけど、その事件は遠い場所の遠い出来事ではない。上野公園で女装をして男性を相手にセックスワークをしていた人たちが警視総監を殴った1946年の事件と共通するものがある。あるいは青鞜のフェミニストたちが、同性で愛し合うことを公然と青鞜誌上に書き、大きく批判された歴史とも共通性があるはずだ。

 日本のプライドマンスにおいては、日本で起きたそれらの出来事は語られず、プライドの力は遠いものとして曖昧にされるか、さもなくば沈黙の中には葬られる。だが先日の自民党における「LGBT理解増進法案」と呼ばれるものの顛末からも明らかなように、プライドマンスが持つ意味は決して日本社会から縁遠いものではない。

 もちろん日本を舞台にしたゲーム、日本語圏の中から生まれたゲームにも、いくつものセクシャルマイノリティを扱った優れた作品がある。女性2人の旅行を描く2018年の『The MISSING -J.J.マクフィールドと追憶島- 』などはその良い例だ。ゲームを起動した時に出る「この作品は、すべての人々が自分自身であることを否定しなくても良いという信念のもとに作られています」という一文は、明確なメッセージを伝えている。

 インディーゲームの『A YEAR OF SPRING』もそうした作品の一つだ。同作はトランスジェンダー女性の主人公が友人から温泉に誘われることから始まるノベルゲームで、マイノリティの性質を持ちながら生きることが良く表現されている。

 虹色の旗は、1人の私にも力をくれていた。多様なセクシュアルマイノリティがなにかについて連帯できるのではないかという夢、その旗があればどんな場所でも”私たち”の場所にできるのではないかという夢。

 当たり前のことではあるけど、日々を生きるのはそういう夢を一つ一つ壊されることに等しい。セクシュアルマイノリティも構造化された社会のなかに組み込まれていて、属性によってはコミュニティ内で強い差別に合うことがある。トランスジェンダーを特に槍玉に上げるような動きは政治家によっても使われるようになったし、アセクシャルへの無理解は今も根深い。同じように虹色の旗を掲げた場所は別に”私たち”の場所ではないし、そういう場所は自分で切り開くしかなくて、むしろ「虹色の旗」がもたらした夢に誘導されることが自分を見失う罠であったりする。

 プライドのもつ理想に対する現実の葛藤は、常にあるべきものだ。問い直されない連帯はもはや連帯ではなく、力を失ってしまう。

 ここで紹介した作品以外でも、セクシュアルマイノリティをめぐるゲーム表現は近年ますます増えつつある。だがセクシュアルマイノリティとゲーム表現は、なかなか組み合わせて語られることがない。この裂け目も私が抱える葛藤の一つだ。ゲームの中の虹色の旗とは裏腹に、ゲームコミュニティではそうした表現に対する風当たりは強い。

 この記事ではプライドマンスに対するそんな葛藤を、部屋の中からゲームという空間の中のレインボーフラッグを通して語ってきた。その意味を考えて語ることで、虹色が少しでも鮮やかになるようにと。


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