名前のないアイシャドウ/「なみうちセクシュアリテ」#2(あたみ)

あたみ

ADDICTIONのMissaと出会った私は、職場にもアイメイクをしていくようになった。

ラメはなく、薄付きである分にはつけていることを感じさせない一方で、メイクをよく見ている人には気づいてもらえるような色合いが幸いし、あまり悩まずにメイクを楽しむことができた。

難しいのはアイライナーの方で、薄付きにしすぎると自分自身では引いているかどうかもわからず、引けていると自分でわかるほど強く引いてしまうと舞台メイクのようになってしまう。

「今日このあとジャグリングの本番があるんですか?」という質問でメイクの意図を尋ねられることもしばしば。アイメイクをおぼえつつあることを伝えると、tipsやメイクへのこだわりを教えてもらえたりもする。

いたずらにセクシュアリティに踏み込まれることはなく、安心する。

後日、年配の方に「『彼女』と読んでいる人は、なんというか、一般的な『女性』のことなの?」と訊かれることになるのだけれど、その程度の薄氷を踏むようなアプローチでさえ、この頃は受けることがなかった。

性別という考え方は私の内部から見ると不動の、存在感がうっすらとした「無」あるいは「徹底的に対象化を逃れる因子」のように感じられる。

関係においては恋愛対象の性的な志向性を追従するように私の性自認はあったし、性別を足場にした演繹を行うことはきわめてまれであったからだ。

だから、私自身のジェンダーに対して、外部から観測を行った際にとても運動性が高く見えることを表現したGender-fluidという性別の呼称は、きわめて言い得て妙であると感じられる。

徹底的に外的なはずのジェンダーが性自認をもとにした社会的なふるまいとぴったり重なる瞬間がないでもなく、メンズスーツを着て髪をオールバックにして出張に出かける際には、セットアップしているうちにジェンダーとセクシュアリティがマージしてくる。

出張先のホモソーシャルを前提とした〈場〉に踏み込もうと準備をしているうちに、「仕事モード」がオンになり、「男スイッチ」が入る。

そのような状況下でもMissaはよく馴染んだ。

普段は捉えどころのない飄々とした私の特性を伝えてくれる降誕の光が、ベツレヘムに吹き込むアラビア砂漠の風(ハムシン)を通じて威風堂々とした印象を与えてくれるのだ。

砂漠で焚き火をすると、煙が空まで届き、風に吹かれて、龍の飛翔を思わせるようになる。

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ハムシンに吹かれる龍(ワディ・ラム、ヨルダン)

強面で高圧的な出張先の担当者について散々脅かされつつも、占いのつもりで打ち込んだ診断メーカーの「我ドラゴンぞ」という言葉を胸に面会に臨むと、相手の担当者は「虎」の名前を冠していて、そんな巡り合わせも興味深かった。「虎」との面会が、2019年最後の出張になった。

2020年への年越しは砂漠で星空を見ながらシーシャを吸うことに決めていて、ヨルダンの砂漠へ向かった。

にぎやかなキャンプを抜け出して岩場に登ると一転して静かな世界になり、風の音とその耳腔における反響だけが聴こえるようになる。

乾燥により雲のない青空には焚き火のつくりだす龍がいつもいて、日が暮れるとともに紫の影をともなったピンク色に染まっていく。写真では捉えきれないほど多様な表情をみせてくれる。

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龍の帰郷(ワディ・ラム、ヨルダン)

龍に再会を前提とした別れを告げ、ベドウィンやイタリア人のバックパッカーとキャンプで夕飯を食べているうちに、星空の時間になる。

星空の砂漠を歩いたり、現地のダンスを踊ったり、焚き火を囲んで各国の音楽を流しているうちに2020年になっていた。ベドウィンが花火を上げてくれて、それぞれの寝床に戻る。

氷点下を持ち合わせのコートと焚き火だけで凌いでいたことに気が付き、とたんに凍える。寝床のガスストーブは90分以上点火すると一酸化炭素中毒の危険があるため、90分後に一度起きてストーブを止め、眠り、今度は寒さに起こされ、また90分ガスストーブを点けて眠ることを繰り返しているうちに朝になった。

ご来光を見たあと砂漠を離れて海の町に滞在し、首都のアンマンに戻る。

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海の町で紅海をのぞむ(アカバ、ヨルダン)

商業施設のアブダリ・モールを歩いていると、セキュリティに呼び止められ、なにか変わったことはなかったか、と聞かれる。

その後もいくつか要領を得ない質問をされるので困ったような顔をしていると、「実はアジア人が巻き込まれる事件があったので声をかけて回っている」と耳打ちされる。

いくつかの世間話の後、「なにか質問はあるか?もっと個人的に聞いてみたいことは?」と問われたのでメイクについて聞いてみることにした。

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アブダリ・モール(アンマン、ヨルダン)

中東のメイクでもっとも特徴的なメイクはkohlと呼ばれる下瞼の内側にも塗布可能なアイライナーである。

もっとも典型的なのは黒だが、さまざまなバリエーションの青、紫、ブランドによってはメタリックな水色等のラインナップがある。

日本の流行りのメイクで下瞼の内側粘膜の外縁部は、ひときわ明るい色を乗せることが多いが、中東のメイクでは逆に影をつけるわけだ。

さっそくモール内のショップで試してみると、「眼」の呪術性を想起させるミステリアスかつ聡明な風合いを自分の目がそなえるようになる。

渡航前に感じていたアイライナーの線を引く強さの問題も、解決するように感じた。

あくまで自然にkohlに典型的なラインをひくだけでよいのだ。男性として生まれた顔立ちを活かすメイクで重要な「影のコントロール」の方法の一端を、そうとは知らずに中東の伝統を通じて身につけたことになる。

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Kohlをひいた筆者

Kohlを試したショップで、アイシャドウを入手した。

日本でよく見ていたADDICTIONやDAZZSHOPのアイシャドウは名前と色の関係を紐解く愉しみがあったけれど、今回入手したアイシャドウには名前がないようだ。

砂漠の乱反射を想起させるラメと、龍のいた空の色合いが、本来一つになりえない天と地の混淆を表現しているように感じられる。

交易や航海をする古代のヨルダンの人々が得意とした星読みの術は、天の示す図を知りながらにして地に内在する存在による、どちらにも深い造詣と親しみをもった営みであった。

その結晶化を粒子として纏うことができるアイシャドウには、どんな名前をつけるのがよいのだろうか。

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・著者プロフィール
あたみ
men’sでも女装でもないメイクをする旅人

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