救われない自覚だけがある、街が欲しい

ゆにここエッセイ

7月もまだまだ続くゆにここハッピープライド特集。第3回は株式会社Xemono代表・とりいめぐみさんによる、「クィアな街」の想像/創造をめぐるエッセイをお届けします。

書いた人:とりいめぐみ
株式会社Xemono代表。


もうすぐ30ともなると、周りの人々は子どもを作り始めたりする。

子どもは好きだ。
私が生まれた1991年にはなかったものを当然のごとく享受して生まれ、育つ。ポケモンも初音ミクもYouTubeも当たり前にあって育つ若い奴らがどんなのを作るかは興味があるし、はやく私には意味不明の世界を作り出して、近頃の若者は意味がわからんくてな、と言わせて欲しい。

それはそれとして、自分には子どもを作る予定がない。
別に何かの決意とかではなく、ただ中学の頃から自分が同性が好きすぎることに気づいていて、それを曲げずに行くとそうなることは当然のことで、別に誇ることでも悲しむことでもなかった。
世の異性愛者が迷うような場所では迷わない。でも他の人とは違うところでは迷うかもね、それだけの話だったはずなのだが。
でも子どもができて楽しそうに振り回されてる人々を見ると、「もしかしてこの人たちには未来があるのでは?」と思ってしまう。
思うだけなのだが、そこでふと気づいてしまったのだ。

自分の周りの性的少数者たちが大抵金がなく将来が投げやりなの、死後がないからじゃね?と。

●死後

死後とはなにか、自分が死んだ後のこの世界のことである。

天国も地獄もどうでもいいし、自分が死んだ後の世界は自分とは無関係なので関係ないっちゃないのだけど、子どもをつくった人は死後を子どもに託すことができるんだよな、と思うと、ちょっと面白くなってきた。

クィアの自分は何を死後に残せるかと考えた時、教育者でも芸術家でもない自分にはなにもない。自分が死んでも残るものが欲しいなんて宗教じみた欲望だけれど、クィアの死後とクィアの誕生を祀る宗教は不勉強にして知らない。(知ってたら救われに行くので教えてください。)

自分に何もないのは別に構わないのだけど、自分に似た人にも何もないならそれはちょっと問題かもしれない。

それで、街とそれを支える思想が欲しいなと思った。

●街が欲しい

いきなり街が出てきた。街って?

クィアの街なら2丁目があるじゃないかと思うかもしれないが、新宿2丁目は私には正直肩身が狭い。金持ちゲイの街だからだ。間違ったバーに入ると「ま○こがなんの用よ」と言われる(実話)。バーを間違わなければいいのかもしれないだけかもしれないが、間違った人間にする仕打ちではないだろうと思う。

そこで新しいクィアの街を残すのはどうだろう、と思った。自分が死んでも街が残るならどれほど良いだろうか。多分それは救いの一種であるはずだ。

血縁でなく文化を残すなら街なんだろうと思う。私はニュータウン育ちなので、街は実は作れるし、それが偽物でも人は暮らせるということを知ってしまっている。銅像でも建てて、線路を引いてさ。広場と飯屋と酒場と図書館があればもう完璧だろう?

末代が集まる街だから名前は末代町だろう、末代町には末代小学校があって、教育に気合の入った末代たちが未来の末代か末代じゃないかわからんちびっ子たちに読み書き計算を教えるのだろう。

街を支える思想の部分はまだ思いつかない、でも、末代は末代であっても、孤独ではないということが言えればそれでいいんだろうな。

最近はそういうことを考えながら眠りにつく。街を持たない末代たちは、その晩も平等に1日分歳を取る。

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