「ソフト化」ーーそれはオタク、特にマイナージャンルオタクにとっては一大事である。
舞台も映画もテレビ番組も、何でもかんでもDVDやBlu-rayになる世界に生きている人にとってはまったくぴんと来ない話かもしれないが、推しの出演作を手元に残せるかどうかーーあるいは自分がオタクになる前の推しの姿を拝むことができるかどうかーーすべてはソフト化にかかっているといっても過言ではない。(一応NHK-BSやスカパーやWOWOWに一縷の望みをかけたり、イケてるオタク仲間に助けてもらうという手もなくはないが……)
さて、わたしには成田三樹夫という推しがいる。彼のすごさについてはのちの連載で暑苦しく語る予定であるが、まず彼はわたしが出会ったときにはすでに故人であった。
いや、もっと言えばわたしがこの世に生を受ける前にすでに彼はこの世を去っていた。平成が始まって一年くらい経った頃のことである。わたしはまだ受精卵ですらなかった。
「成田三樹夫」の名前を聞いてピンとくる人がこの記事の読者の中にどれくらいいるのかはわからないのだが、多くの人にとって成田三樹夫は「東映やくざ映画の人」か「探偵物語の服部刑事」(みんな大好き工藤と服部の服部のほうの名前の由来になった人です)、あとはまあ「柳生一族の陰謀」の「烏丸少将」くらいに認識されているであろう。
とにかく「名悪役」あるいは、もう少し長生きしていたら「名バイプレーヤー」として、人々の記憶に残る俳優であった。
そんなわけで、彼の出演作はそれなりに多く、全体的にメジャーでもあり、代表作からちょい出演の作品まで、DVD・Blu-rayやAmazon prime video、Netflixなんかをあさりまくれば、かなり網羅的に鑑賞することができる。いい時代になったものだ。
しかし、ただ一つオタクには耐えられない事実があった。
成田三樹夫おそらく唯一の主演ドラマ「土曜日の虎」が、1966年の放映以来一度もソフト化されてこなかったために、唯一の主演ドラマなのに、幻の作品になっていたことである。
どうもCS放送で思い出したように流れることはこれまでもあったようのだが、いかんせん放映からすでに50余年、本人の死去からも30年が経とうとしていた。
しかも、このドラマは当時成田三樹夫が所属していた大映が制作した作品だが、日本映画に多少詳しい人ならご存じのように、あの勝新太郎や市川雷蔵を擁して一時はこの世の春を謳歌した大映は、1971年に倒産してしまっているのだ。なんでや、おかしいやん。
大映の倒産後、フリーとして東映・東宝・松竹・角川などの様々な名作に絶妙なバイプレーヤーとして出演した成田三樹夫であったが、ついぞ再びのドラマ主演の機会は訪れなかった(と、私は思っているがなにぶん昔のドラマは情報を追うのが難しいので、だれか知っている人がいたら教えてください)。
しかし2019年のある日、わたしは気づいた。
「土曜日の虎」のDVDが発売されているという事実に!!!!!!
なんと発売から4か月近く、そのことに気づいていなかったのである。なんでや、おかしいやん。
言い訳をすれば、だって誰も教えてくれなかったんだもん、なのだ。
つまり、告知もほぼなく、あったとしても「成田三樹夫ファン」に届けよう、という意図もまったくなく、「昭和の名作ライブラリー」というシリーズでみんなの懐かしの昭和のドラマを復刻して売るよ~くらいのゆるいテンションで、発売されていたのだ。
気づいたその瞬間に当然ながらわたしは即ポチした。
こんなことってあるんだ……人生ってすごいなと思った。
わたしがファンになって数年くらいのタイミングでソフト化されるなんて奇跡なのか?とか、思いつめて角川の倉庫(現在大映の映像作品の版権は角川がもっているので)に忍び込んでフィルムを盗む前で本当に良かった、とかいろいろなことが頭をよぎった。
面白かったし、二枚目役の成田三樹夫がちょっとニヒルなヒーローを演じていて最高だった。
大映時代の成田三樹夫は、みんなが知っているヤクザ映画の悪役の成田三樹夫とは違って、ちょっと二枚目路線で売ろうとしていた形跡があり、なんだか感慨深い。
成田三樹夫はさ、スタイルもよくて線が細い中にも強い芯を感じさせる美男なんだけどさ、演技がうますぎるから主役じゃなくて敵役とか助演として作品を引き締めるポジションにされちゃうんだよねえ……
大映が生き残っていたら二枚目主演としてのキャリアもあったのかなあ。でもわたしは悪役の成田三樹夫も好きなんだよね。
経緯はどうあれ、今までフィルムを保管していた人たち、このDVDを企画してくれた人たち、本当にありがとう……と泣きながら見た。
そして、最終話だけ一年以上見られずにいる。
だって、最終話見ちゃったらもう新しい成田三樹夫にしばらく出会えないから……。
こんなにがっつり成田三樹夫に触れた後で、また飢餓状態に陥るのは、辛すぎるよ……。
ここまで来たら「ザ・ガードマン」のDVDを全部買って成田三樹夫が出ている回だけ見まくるしかなくなってくるよ……。
話は変わるが、先日歌番組に加山雄三が出演して、「新曲です!」と言って明るく歌っているのを見た。
わたしは加山雄三のファンでも何でもないが、感動して涙が出た。
加山雄三は成田三樹夫より2歳年少である。たった2歳だ。
わたしは、加山雄三のファンに感情移入して泣いていた。
デビューから間もなく60年。加山雄三はいまだキラキラと舞台に立ち、新曲をだし、歌っている。
加山雄三は、デビューしてから現在まで、その屈託のない明るさ、健やかさを失わず、作ること、表現することの喜びを放ち続けている。そしてその輝きを、惜しげもなくファンに向かって放ち続けているのだ。
奇跡のような幸福ではないか。
成田三樹夫の早逝は、もちろん誰にもどうしようもないことだった。デビューも20代後半と遅かった彼だが、25年ほどのキャリアを、素晴らしい作品とともに生き抜いた。
それでも、今彼が生きていれば、という考えが、しばしば脳裏をよぎる。
こんな監督とだったらどんな芝居をしたかな、今ならこういう作品に、きっと出ていただろうな。そう思ってしまう。
今生きている推したちにも、永遠に生きていてほしいなあと祈ってしまう。わたしもたまに生きるのが辛くなる時があるが、「推しの最後の舞台を見守るまでは死ねない……!」と、いつも命を彼ら彼女らに拾われてしまう。
誰かに「永く永く生きてほしい」と願うことは、あるいは、「生きていてほしかった」と願うことは、時に「死んでほしい」と願うこと以上に恐ろしく残酷なことのように思われる。
生きること、特に、表現者として誰かに自分の一部を差し出しながら生きることの苦しみをわずかでも知ったことがあれば、軽々しくその生を誰かに願う罪深さにおののいてしまう。
しかもわたしは、病をその身の内に抱えながら、それでもカメラの前に立った晩年の成田三樹夫の姿を、何度でも繰り返し見ることができるのだ。
本当は、もういい、もう苦しまなくていい、もう演じなくていい、輝かなくていいと、叫びたくなる。
傷だらけになりながら舞台に立つ人の姿を知っているから、いや、人はみなこの生を苦しんで生きているとわかっているのだから、誰しも諦めてもいい、負けてもいいと、わかっているのだから。
健康でいてという願いも、病に倒れた人にとっては呪いでしかない。健やかでないことを努力不足のように糾弾する世界で、なぜそんなことを言えるのだろうか?
それでも、祈らずには、願わずにはいられないのだ。
なんて矛盾に満ちた、罪深い、ずるい存在なのだろうか、わたしは。
・著者プロフィール
吉田瑞季
オタクに夢を売る仕事をしているオタク
演劇・古典芸能・ヤクザ映画・詩歌