選べないこと、選んだもの/「一人ひとりを包むもの」#0(杉田ぱん)

一人ひとりを包むもの

わたしは、人の顔を覚えるのが苦手だ。

たとえば喫茶店で、友だちと向かい合ってお茶をしていたとする。アイスティーが運ばれてきて、シロップを注ぎ、ゆらゆらとアイスティーとシロップがまじりあうのをみつめると、もう目の前の人間の瞳がどんなふうだったのか、頭のなかで思い浮かべることができない。

その人と、どれだけ長い時間を過ごしたって、たとえそれが一緒に暮らしている人間であったとしても、覚えられる自信がない。

けれど、その人がその日、どんなものに包まれていたのか、たとえば、履いていた靴がスウェード素材のスニーカーだったこと、オルタナティブバンドのTシャツをよく着ていること、前髪が先週会ったときよりも短くなっていること、アイシャドーと口紅の色が同系色でまとまっていること、イヤリングの色とネイルカラーが補色どうしでひびきあっていること、眼鏡はブルーライトをカットするためにかけていること、家のなかでよく左右のちがう靴下を履いていること、目の前の人が、その日、選んだものについては、鮮明に覚えておくことができる。覚えていていたいとおもう。

「うまれもったもの」について、この社会では、なんだかとっても意味をもってしまう。瞳の色や、かたち、肌の色味や、身長、胸、おしり、脚、指、毛。

「今日は、脚をいつもより伸ばしたいな~」とおもっても、人間の脚は伸びない。わたしたちが自由に選べないものについて、比べあい、おまけに優劣までつけてしまったから、人間の社会は大変、愚かだ。

それは人間がつくった、あほらしい価値感だとはっきりと、だれかに言ってほしかった。
だから、自分で言うことにする。

所詮、人間がつくった価値なのだ。人間が書き換えることだって、できる。

そういうわけで、みなさまお集りいただきまして。わたしと、あなたと、いまはまだ出会っていないあなたと、一緒にお話ししてみたい。

わたしたち、一人ひとりを包むものについて。

・著者プロフィール
杉田ぱん
フェミニストでクィアなギャル
Twitter:@p___sp

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