安心できる俳句入門/「あぶないいきもの」#6 (直角)

あぶないいきもの

KADOKAWA メディアファクトリー
『ほしとんで』
本田=著
堀本裕樹=監修



ほしとんで01

コミック「ほしとんで01」本田のあらすじ、最新情報をKADOKAWA公式サイトより。個性際立つ人が多い芸術学部——その中で
www.kadokawa.co.jp

私は俳句が好きだ。

俳句ってあの俳句? 古池や? 蛙飛び込む? 水の音?
はい、その俳句です。

俳句は面白い。だから、友だちにも勧めたいと思う。

だが一つ問題がある。人に勧めるのによい入門書がなかなかないのだ。
ちょっと取っ付きにくかったり、ちょっと高かったり。

そんなある日のことだった、漫画「ほしとんで」に出会ったのは。
一読してすっかり好きになってしまい、この頃は会う人皆に勧めて回っているような次第だ。

今日は読者の皆さんにも「ほしとんで」の魅力をお伝えできればと思う。

「ほしとんで」とは?

「ほしとんで」は、俳句漫画だ。

舞台は大学の藝術学部。気づいたら俳句ゼミに入っていた主人公・尾崎流星が、愉快な仲間たちと繰り広げる”本格<俳句>グラフィティ”である。

最初は特に俳句に興味があるというわけではなかったゼミ生たちが、先生や先輩をはじめさまざまな人々とのかかわりを通じて俳句の楽しみに出会っていく。

もちろん、入門書としての役割もしっかり果たしている。
ゼミ生たちは皆俳句の初心者であるというところがポイントで、ストーリーが進むにつれて、読者も彼らと一緒に俳句について学んでいくことができるのだ。

「ほしとんで」のリアリティ

さて、この漫画、とにかくリアリティがすごい。
読み始めてすぐに、自分が俳句を始めたころのことをまざまざと思い出した。

自分の句を初めて人に読まれるときの、「やめて読まないで〜〜〜(でも読んで〜〜〜)」という心の叫び。
句が選ばれたときは嬉しくて鼓動が早くなり、顔がにこにこしてしまうのを必死に堪える。
句が選ばれなかったときはしょんぼりして、しょんぼり顔をまた堪える。
先生の添削を受けて、自分のものとは思えないほど素敵になった句を見たときの、驚きと感動の入り交じった思い。
他人のよい句を読むときの気持ち。自分も同じものを見ていたはずなのに、表現できなかった。それをこの人はこんなに的確に句にしている……そういう、羨ましく、悔しい気持ち。

そう、「ほしとんで」には、およそ俳句を始めた人が経験するすべての感情が詰まっていると言ってよいかもしれない。
俳句に限らず、何らかの創作をする人であれば、登場人物にはちゃめちゃに共感することだろう。
特に創作に興味がない人であっても、自分なりに何かを作ってみたくなるような漫画だと思う。

全体としてはコメディタッチで描かれており、一ページに一度の頻度でギャグが炸裂する。
だが同時に、俳句とは? 文芸とは? 芸術とは? という問いについても考えさせられるストーリーだ。

……と、いうわけだが。
実は、私の最大のおすすめポイントは他にある。
それは、”倫理”だ。

「ほしとんで」の倫理

私はいろいろな人に「ほしとんで」の既刊1~3巻セットを貸しまくっている。
単行本を紙袋に入れて返してくれるとき、みんなが口を揃えて言う言葉があった。
「傷つかなくて済んだ」である。

聞けば、漫画を読んで「傷つく」経験をしている人が思ったより多いのだった。
漫画に限らず、現実では許されないようなことがフィクションの中ではまかり通るケースというのは確かにある。
少し前に流行った「壁ドン」などは極端な例かもしれないが、倫理的にNGな行為が当たり前のものとして描かれるのを見るのはしんどいものだ。

その意味で「ほしとんで」は、読んでいて傷つくシーンがない。いや、むしろよいシーンが多い……というのが友人たちの共通した見解だった。

そうなんですよ〜〜〜!!!
と私は思った。
だからこそ、大切な友人であるあなたたちにこの漫画を貸したんですよ!!!

画像1

1~3巻表紙で登場人物をチェック!

名シーン集!

いいシーンは多いが、ここではその一部をご紹介したい。

【以下、作品の内容に触れている部分がありますので、ご留意ください。】

①主人公・流星のシーン

まずはちょっとしたやつ。
主人公・流星の友人である春信。句会で他人の句の感想(妄想?)を披露するが、後ほど作者の意図とは全然違っていたことがわかる。恥ずかしさのあまり「僕を殴ってくれ〜〜」となっちゃうシーンである。

春信「流星くん 僕を殴って」
流星「い いやだ! 子どもの前で」
※ゼミ生の一人、みどりは子ども連れで講義に参加している。

ほんとにちょっとした一場面で、このやりとりもコマの片隅のセリフなのだが、これすごくないですか? 「僕を殴ってくれ〜〜」って漫画の世界だと普通にある流れだと思うんだけど、それに真面目に答える流星がすごい。

ゼミ生たちは大学生なのだけれど、小さな子どもの前で責任ある大人のふるまいをごく自然にしていて、そこがとてもよいと思った。

②春信のシーン。

そんな春信はいわゆる「オタク」なのだが、彼が主人公・流星の幼馴染である戎原航太郎に初めて引き合わされたときのこと。航太郎はモデルや俳優として活動してる芸能人で、常にキラキラオーラを発しているので、春信はびびりまくっていた。

春信「流星くん… どうやら僕は勘違いしてたみたいですな 流星くんも僕と同じオタ……いや「陰」を謳歌する勢だと…!!」
流星「春信くん 勘違いじゃないよ どうしたの」(中略)「でも春信くん…これだけは誤解しないでほしい 俺も「陰」だよ」
航太郎「いいことないって 人類を陰陽でわけるのはさあ〜

ちゃんとツッコむ航太郎えらい。さらに次のシーンでは、こんなやりとりもある。

春信「う…生まれてこの方 芸能人さんが身近にいたことなくてですね… かっこいいなーとか思ってジロジロ見ちゃうかもしれない ほんとに悪意ないけど戎原さん…が嫌だと思ったらすぐ言ってほしいですぞ
航太郎「なんだなんだ… いいやつだな 春信くん…」

芸能人という職業柄どこに行ってもちやほやされてしまう相手の立場を慮った発言で、は、春信お前……いいやつじゃん……となる。航太郎でなくとも。

このシーンでは、安易な「陰キャ」と「陽キャ」の二項対立にされてもおかしくない二人の出会いを、丁寧に描いている。

本作は「キャラ」の扱いが巧い漫画だと思う。漫画において、登場人物のわかりやすいキャラ付けというのはしばしば重要だ。極端な例を出せば、赤い髪は熱血主人公で、青い髪はクールな参謀役というように。もちろん当てはまらない場合もあるが、これらのお約束が読者の頭の中にあることは大前提だろう。

「ほしとんで」の登場人物たちは、確かに一見「オタク」「芸能人」「母親」などの「キャラ」をまとってはいる。それはある意味では戯画的なのだが、彼らは時折、その「キャラ」の枠内にとどまらないふるまいを見せてくれる。そしてそんなとき、物語はいっそう魅力的に感じられるのだ。

「陰キャ」と「陽キャ」が仲良くなれないとは限らない。
それもまた、一つの物語なのである。

③みどりのシーン。

鎌倉に吟行(俳句を作るための遠足のようなもの)に行くことになった俳句ゼミ一行。
ただ一人、みどりは内心参加を諦めていた。小さな子どもを抱っこして鎌倉の石段を上り下りするのは難しい。

みどり「先生すみません…鎌倉の吟行なんですけど この日…夫に子供を預けられなかったら欠席しようと思うんですが」
先生「欠席?」
みどり「正直だっこして荷物持ってみなさんから遅れずに山道を移動って考えると 平地ならまだしも流石に今回は自信がないです…」

そこで先生(と俳句ゼミの先輩)から一言。

先生「で 俺たちからもちょっとご提案なんですけど」

そして吟行当日……そこにはおなじみのゼミの面々……に加え、みどりの子をだっこした先輩の姿が!

いや、この場面とてもよいのです。
単に設定としてお子さん連れの学生がゼミに所属しているというだけでなく、そこで起こりうる困難まできちんと取り上げる想像力がある。
しかも、当事者の学生ひとりに荷を負わせるのではなく、先生や先輩を含めゼミ全体で解決していこうとする姿が描かれている。

読んでいて実に嬉しく、この作者は信頼できると思ったシーンだ。

安心できる俳句入門

ここで挙げたのはほんの一部で、他にも作者の配慮が垣間見えるシーンがそこここにある。

「ほしとんで」で描かれているのは「優しい世界」だ。
さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが、互いに敬意を持つことのできる世界。
誰にでも開かれた芸術、皆が楽しめる文芸の世界。
俳句を通して見ることのできる、驚きと不思議に満ちた世界。

もちろん完璧な世界ではない。でも、今よりちょっとだけよくなった世界だ。
フィクションと現実は互いに影響を与えあうものであるから、こうした作品を世に出すことの意義を作者はよく理解されているのだろうと思う。

今よりちょっとだけよくなった世界を見せてもらった私たちは、今よりちょっとだけよくなった世界を作っていくことができるだろうから。

後日談。

「ほしとんで」を友人たちに貸しまくっていたところ、今度、念願の句会を開くことができそうだ。これもひとえに、安心できる俳句入門書「ほしとんで」のおかげである。この場を借りて感謝したい。

・著者プロフィール
直角
インターネットレズビアン
Twitter:@ninety_deg

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