二十代最後の年、ロリィタにはまった②/「A is for Asexual」#7 川野芽生

以前にもこんな記事を書いたくらいだし、ロリィタを着る前から、わたしは傍から見ればかなり自由に装いを楽しんでいる方だったと思う。
でも、わたしにはわたしなりに、装いに対して葛藤や気後れがあった。

母親とファッションの複雑な関係

わたしの両親はおしゃれにあまり関心のない人たちである。単に関心がないだけではなくて、そういうことに関心を持ち、時間やお金をつかうことを、あんまり知的でない、俗っぽいおこないとしてちょっと軽蔑しているところがある。

特に母が、その時代に職を持って自立した女性としてサバイブするにあたって、いわゆる「女性らしさ」とされるものを忌避して来なければならなかったことは、想像にかたくない。
ファッションにおいてもそうだったろう。

また、母は彼女の母親(わたしの祖母)とのあいだに確執を抱えていた。
祖母は大変な美人で、ハイカラなひとであり、自分で服を縫い、二人の娘(母と叔母)とお揃いで出かけることを好んだという。
同時に、頭が良くてプライドが高く、性格がすごくきつかった。
女性だからという理由で大学に行かせてもらえず、そのために、自分だって大学に行けていたらこのくらいできた、という気持ちから、他者の能力を認めることができなかった。
母と叔母がどんなに優秀でも褒めてくれなかった。
美人の祖母と二人の娘がお揃いの手作りの服を着て歩いていると、街中でカメラマンに声をかけられることがあり、目立つのが好きな祖母はそういうときとても喜んだけれど、母と叔母は穴があったら入りたかったという。

その話を聞いて、子供だったわたしが抱いた感想は、「服が作れるお母さんがいるなんて羨ましいけどなあ」だった。
ちなみにわたしは祖母に似ているのだそうだ。

だから、母がおしゃれを敬遠するのも、ことに「女性らしい」とされる服装を、大学に行き知的な職業に就くことと相反するもののように感じるのも、無理のないことではある。
母は仕事で一年間インドで暮らし、真っ黒になって帰って来るような人である。
若い時は服を二着だけ持っていて、毎日洗濯をしてかわるがわる着ていたという。

両親はフェミニストで、女性と知性が相反するものだとは思っていなかったが、「女性的」なものと知性は相反すると思っている節があった。
両親は「女性的」とされるものや「おしゃれ」を忌避していた(無論おしゃれ=女性のものとは全然限らないのだが、ここではそれは置いておく)。
わたしをなるべく飾り気のない、中性的な、ボーイッシュな子供に育てたがった。
髪は伸ばさせてもらえなかったし、スカートよりはズボンを、ピンクよりは青を着せたがった。
そんな両親に反発するように、わたしはフリルやリボンやレースが大好きな子供に育ってしまったのである。

だから、わたしは子供の時、あんまり好きな服が着られなかった。
できる範囲で自分の好みの服を選んではいたが、両親はそもそもあんまり服を買いたがらなかった。
間違っても、シャーリーテンプルのお洋服を着せてもらえるような子供時代ではなかった。

中学の時は、伸ばしていた髪を母に切られて寝込んだことがあるし、大学生になってカラーリングモデルに声をかけられて初めて髪を染めた時は、父はひどく不機嫌になった。
成人式で振袖を着ることも、大学の卒業式で袴を履くこともなかった。着るものがないので成人式にも卒業式にも出なかった。

授賞式のドレス

数年前、わたしは短歌の新人賞を受賞した。わたしはその賞金で、授賞式用にとびきり華やかなドレスを買うことに決めた。成人式にも卒業式にも出なかったし、わたしの人生に結婚式の予定はない。「人生の節目の、特別なおめかしの機会」がないのだ。

自分が主役になるパーティの機会は今しかない。

友人たちに付き合ってもらって、色んなお店で色んなドレスを試着した。
ヴィンテージのウェディングドレスも着てみた。
婚姻制度には反対だが、ウェディングドレスに罪はない。
婚姻などという文脈を離れて、この美しいものが着られるようになるといいと思った。
サイズが合わなかったので買わなかったけれど、いずれまたウェディングドレスを着てみたいと思っている。

最終的に、音楽をやっていた友人に教えてもらった、演奏会用のドレスが安く買えるお店で、引きずるような丈のアイスブルーのドレスを買った。
今まで参加した授賞式で、こんな派手な装いをしている人を見たことはなかった。
みんなが見ている中で、こんな目立つ格好をする勇気がわたしにあるのか? と何度か自分に問い直したけれど、妥協したら絶対に後悔するとわかっていた。

自分の力で勝ち取ったお金で買った、自分に最高に似合うドレスを、自分のために用意された場で着る。
そうしないと、成人式も卒業式も結婚式もないわたしの、ドレスへの憧れは成仏しないのだ。

当日は、(主役なので当然だけれど)会場中の視線を集めるのでとても緊張したが、終わると「やりきった……」という感慨でいっぱいになった。
授賞式には当然、両親も招待したのだが、彼らも随分楽しんでくれたようである。

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そしてロリィタへ

今でも、髪を染めて美容院から帰る時や、おしゃれをして出かける時、両親にどんな顔をされるだろうかと正直言ってちょっと緊張する。

ロリィタ服を着始めた時も、他人の視線は気にならなかったが、両親の反応だけは気になった。しかし長年かけて両親もわたしの装いに慣れてきたのだろう。

母は後ろのリボンを結ぶのを手伝ってくれるし、父はわたしの気持ちなど知らず、「絵本に出てきそうな服だね」「オルゴールの上で踊ってそう」「今日は舞踏会でもあるの?」などと呑気なコメントをくれるようになった。

・著者プロフィール
川野芽生
短歌、小説、エッセイ、評論、論文などを書いています。
twitter: @megumikawano_

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