料理をテーマにお届けしている四月の「ユニコーンはここにいる」エッセイ特集、第二回の書き手はライターの呉樹直己さんです。
長らく自分の食事に気を遣う方法がわからなかったという呉樹さんが、他者との共同生活を通じて「食」の意味を捉え直した経験について書き起こします。
書いた人:呉樹直己
20代のADHD。おおむねマジョリティ、ときどきマイノリティ。よりよい生存を目指して試行錯誤している道中。
Twitter:@GJOshpink
昔から、見えないものは意識からも消える症状に悩まされていた。どういうことかというと、持ち物を引き出しの中などにしまい込んで視界から消すと、記憶からも消去されて存在を忘れてしまうのである。なのでわたしは、持ち物はできるだけ目に見える形で収納するようにしている。すなわち、服はすべてハンガーに吊り収納する。コスメは透明のアクリルケースに並べる。書類を入れるクリアファイルには付箋を貼って中身の名前を書いておく。本はできる限り背表紙が見えるように立てて収納する。そのような工夫を積み重ねることで、最低限整った暮らしを維持してきた。
しかし、個々の工夫ではどうにもならない「見えない部分」があった。ほかならぬわたし自身の肉体である。より正確に言うと、肉体のうちの消化器官だ。
消化器官は体内にあって、わたしの目には見えない。それゆえにわたしは、自分の食事に気を遣うことが長らくできなかった。わたしにとって食べ物は、空腹感という苦痛を黙らせてくれる頓服薬か、味覚的快楽を与えてくれる娯楽装置でしかなかった。腹部の不快感の解消とか、舌への心地よい刺激とか、五感に直接的に結びついた即物的な効果しか認識しかできなかった。当たり前だが、人間が食事をする第一目的は、栄養を摂取して生存するためである。そのことを、もちろん頭ではわかっていたが、自分自身の実感として腑落ちさせることがどうしてもできなかったのだ。
肉体がスケルトンになっていて、食べたものが消化吸収されるさまが可視化されていれば納得できたかもしれない。しかし胃腸は当然ながら皮膚や脂肪や筋肉で覆われている。食べたものが糞便として再び姿を現すまでの過程は、わたしにとってはブラックボックスの中でなにがなにやらわからぬうちに成されているのであった。見えないものは、意識できない。皿洗いの苦痛は紙皿を使うことで軽減できたし、自炊する気力がないのならエナジーゼリーに頼ることで解決できた。しかし、そのような個々の工夫は可能だが、食事が根本的に「見えない」ことによる意識のできなさ、興味の持てなさ、興味を持てないことを一日三度も強いられる苦痛は、解消できなかった。
しかし転機は急に訪れた。ひょんなことから現在の同居人と共同生活を始めて、わたしが料理係になったのである。
同居人の家にわたしが転がり込む形で暮らし始めたのが八カ月前だ。入居日のことは今でもよく憶えている。スーツケース片手に玄関を開けてリビングに足を踏み入れたわたしの目に飛び込んできたのは、紙のように青白い顔をして、目を血走らせて、空き缶とペットボトルとUberEatsのゴミに囲まれて半死半生で横たわっている同居人の姿だった。生きるのがつらすぎて食事をする気力もない、とわたしに語った言葉が大げさではなかったことを、その光景は雄弁に語っていた。――衝撃だった。食べないと、人は死ぬのだ。それも、ただ空腹を満たすだけじゃなくて、栄養のあるものを食べなければならないのだ。今までわたしの中で宙づりになっていた一般常識が、落ちるべき場所に腑落ちするのを感じた。
当時の同居人は、荒れた食生活とストレスのせいで胃腸炎を患っていた。病んだ身体はとても繊細で、健やかな身体なら無視できてしまうような些細な変化にも敏感に反応する。同居人の身体も、一時期は水すら受け付けず嘔吐するような状態だった。果物の缶詰やジュースから始めて、継続的に固形物を摂取できるようになるまでに半月かかり、一日三度まともな食事をする習慣を身に着けさせたところで最初の一カ月が過ぎた。肉体は少しずつ変化していった。頬に血の気が差し、声に力が戻り、ふらついていた足元が安定し、数分置きにトイレに行かなくてもよくなった。その変化をわたしは一番近くで見ていた。栄養を摂れば、身体は持ち直すのだ。当たり前のことかもしれないが、心底そう実感した。同居人の肉体という、いわば可視化された消化器官を通して。
いったん「見えて」しまえば、興味を持つのは難しいことではなくなった。それどころか食事は、義務でありながら味覚的快楽をも与えてくれる楽しい営みに変貌した。であれば料理をすることは、自分の望む食べ物を具現化する作業だ。自分の望みを自分で実現できるのだから、これほど充実した作業はない。
さらに、料理に興味を持てたことで、スーパーの食品コーナーを見る目も変わった。食材ひとつひとつが、わたし自身に関係のあるものとして立ち現れてくるようになったのである。これもまた、見えなかったものが「見える」ようになったくらいの絶大な変化と感じられた。
毎日、包丁を握る。刃先がぎらりと光る。これで同居人を殺せるのだと実感する。わたしの出す料理が同居人の肉体を形成し、明日を生きる体力を与えているのだから、それは生死を左右するのと同じことだ。包丁でぶすりと刺すまでもなく、わたしは同居人の生殺与奪権を握っているのである。
毎日、食卓で向かい合って食事をする。同居人が箸を取り、料理を口に運び、咀嚼し飲み込むさまを飽きず眺める。同居人はわたしから「見える」のだ。見えて、いまここに存在している。食事をし、排泄し、日々を生きている。同居人は、わたしにとってブラックボックスだった食事という営みを可視化してくれているのである。わたしは同居人に料理を供することで、外部化されたわたし自身の消化器官に給餌している気持ちでいる。自他境界の、意図された溶解。自我の拡張としての他者。一日に二度か三度、わたしと同居人は境界線を失い、おおきな一つの生き物として飯を食らう。食欲がなくても、食後の服薬のために無理にでも食らう。無理をせねばならぬ理由を、わたしはもう理解できている。
栄養のため、生存のために、今日も食らいながら生活している。
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