【ゆにここお散歩エッセイ】脳みそのキャッシュをさらさらこぼす(餅井アンナ)

ゆにここエッセイ

 散歩にまつわるエッセイをお送りするゆにここお散歩企画。第二回は、ライターの餅井アンナさんにご寄稿いただきました。
 しばらく前に高円寺の駅前から東京のはじっこへと住まいを移した餅井さん。頭の中の忙しさをリセットする静かな散歩の楽しみを、春の空気をまとわせてお届けします。

書いた人:餅井アンナ
ライター。タバブックスより虚弱なおたよりエッセイ『へんしん不要』が発売中です。


 散歩が好きだ。
 もっと言えば、静かな散歩が好きだ。

 人と音と文字が少なくて、かわりに緑と、あればおもしろい建物のある道を歩く。どこにも行かなくていい日の、どこへ行ってもいいし、どこで引き返してもいい散歩。一年半ほど前に東京のはじの方へ引っ越してきてから、私はしょっちゅう家の近所をうろつくようになっている。

 歩くことに、意味はとくにない。
 ただいい感じの景色の中を歩いていると心が安らぐし、脳みそに溜まったキャッシュみたいなものがさらさらと消えていく感じがする。
 脳は眠っている間に情報を整理しているそうだけれど、じっさい、体が動いているかいないかというだけの違いで、散歩も睡眠もそんなに変わらないんじゃないかと思う。

 家は駅からは少し離れている。一番近いコンビニは歩いて十分で、周りには人の住む建物しかない。
 ここに来る前は、高円寺の、駅から徒歩三分で、セブンイレブンがほぼ隣の物件に住んでいた。住んでいる二年と十ヶ月ほどで、若干心がすさんだ。情報が多すぎたのだ。
 暮らしている場所には人と音と文字があふれていて、脳みその中にはあっという間にキャッシュが溜まる。それを捨てられる場所も、小杉湯のミルク風呂くらいしかなかった。

 今住んでいる街には、脳みそが拾わなければならない情報がそんなにないのだと思う。
 大通りはまっさらに舗装されていて見通しがよく、文字のうるさい看板のたぐいもない。人が住む家はたくさんあるけれど、どれも適当な距離感を保っている。それなりに住んでいるはずなのに、道を歩いていても人にはあまり会わない。すれ違う人たちもだいたい、犬の散歩かランニングのどちらかにいそしんでいる。平和だ。

 脳みその中身をさらさらこぼしながら歩いているので、私は外の景色を静かに楽しむことができる。流れる水に手をかざすような心地よさ。ふれるものはいつでも新鮮で、私の中に重くとどまることはなく、歩みと同じ速さでさわやかに流れ去っていく。

 今みたいな季節は、とくに散歩をするのがうれしい。
 このあたりは緑がたくさんある。街路樹はよく手入れがされているし、家の横に野菜や果物の畑を持っているところも多い。ちょっとした公園や、歩いて楽しむための小路もよく見つける。

 冬のあいだは、景色がずっと灰色だった。水気を手放し、鈍く光を吸い込んでいた植物たちが、春になり、少しずつ透きとおった色合いを取り戻していく。
 黒々としていた桜の幹も、今では少し色づいて、表面はしっとりと潤っているようだった。花はまだところどころにつく程度なのに、空気をかげば淡い蜜の香りがする。

 あたりをくるむ、春先の黄色い陽光もすてきだ。
 マンションの白い壁なんかが、太陽を浴びてまぶしく光っている。眩しいけれど、冬の真っ白な光のような、どきどきする神経質さはない。やわらかく、どこか親しげな感じだ。
 それでも、建物の陰に目をやれば、そこはまだ冬の領地のようだった。青くて昏くて、ひんやりと湿った陰。その気配はまだ少し冷たい風に混じっている。

 家から少し歩いたところには、ちょっとした竹やぶがある。大きな平たい家の裏手にあるので、そこの人が持っているものなのだと思う。
 竹たちの根元はどっしりと硬く、ちょっとやそっとのことではびくともしないように見える。しかし見上げてみれば、空に近いところでは軽やかにしなり、ざあざあと繁った葉のかたまりを揺らしている。
 枝を広げた木々が揺れるのとはまた違う、不思議な一体感。
 私はそれを眺めるのが好きだ。

 散歩をするのは楽しい。
 ぼんやりと景色を見ながら外を歩いていると、自分の体が透明な、ただの乗り物のように思えてくる。
 近所だからというのもあるかもしれない。誰に会うわけでもないから、服も化粧もかまわなくていい。

 人の多い街を歩くときは、いつも緊張する。
 新宿や渋谷や池袋なんかの繁華街をうろうろしていると、以前はよくいやな目に遭った。
 そうでなくとも、心はいつも張りつめていた。
 何かを試されて、選ばれている。砂嵐の中を歩くような心地だ。
 しかも街全体のデータが重いから、脳にはどんどんキャッシュが溜まる。活気のある街から帰ってくると、いつも頭と体がへとへとになった。

 みんな、脳みそに溜まったキャッシュは、どこに流しているんだろう。
 夢の中だろうか。それとも、お風呂の中だろうか。
 東京の街は狭すぎて、キャッシュをこぼす隙間がない。
 人も音も文字も多い、砂嵐でじゃりじゃりの東京。

 私の住む街は広いので、脳みそのキャッシュもさらさら流れる。
 眠りながら夢を見るように、湯船に体をしずめるように、意味のない散歩に出かけることができる。
 春の匂い。土埃と日差し、夜露と草の匂い。なめした革のように輝く、常緑樹の葉。きめの細かいアスファルト。
 明日はきっと天気がいいから、また頭の中に溜まった塵をこぼしにいこうと思う。


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