推しを描いていたら癒やされていた/「愛しても愛しても」 #5(吉田瑞季)

 高校のころ、音楽の先生が「アマチュアがプロより劣っている、ということはない。アマチュア、という言葉は愛するというラテン語からきている。プロは決められた時間で決められた結果を出さなければいけないが、アマチュアはいくらでも好きなだけ時間をかけて、極めたいところまで極めることができる」と言っていたのを、ときどき思い出す。

 その時は、ふーん、としか思わなかったが、自分が仕事でも趣味でも芸能や創作にかかわるようになると、先生の言った意味がしみじみとわかってきたような気がしている。

 数年前のある日、わたしは浅草にいた。
その数か月ほど前から、病気で仕事を休み、しばらく寝たきりだったのだが、体が動くようになってくると、リハビリがてらにほうぼうにあてもなく出かけるようになっていた。
その頃は関西に住んでいたのだが、文楽人形遣いの吉田勘彌さんのトークレクチャーに参加するために、上京していた。病気が治りかける時の謎のエネルギーというか行動力である。
舞台の手すり(文楽特有の舞台装置)越しではなく、目の前に勘彌さん(超好き)がいて、しかもプレゼントを直接手渡ししてちょっとお話までさせてもらった。最高である。
勘彌さんのすばらしさはまた別の機会に語りたいと思う。

 さて、それから私は浅草に一泊し、朝、日当たりのいいスタバの窓辺でぼんやりしていた。観光地といえども朝はまあ静かなものである。それに、宿を出て朝食を済ませ、浅草寺にお参りしたわたしはすでにぼんやりと疲れていた。さすがに病み上がりである。
次の予定にはまだ2時間近くある。どうしたものか。

 わたしはスケッチブックを取り出し、勘彌さんを描きはじめた。

 スタバの日当たりがよすぎて影がすごい。
それから、東京旅行の合間合間に、写真を見ながらカリカリと描き進める。

 絵を描くのは好きだ。ただ非常にめんどくさく、またつらくもある。
身体や脳にしみついた自分の癖が、紙の上にあらわになる。そういった癖、歪みを見つけるごとに、消しゴムをかけ、見ているものと紙の上の形が近づくようになんどもなんどもやり直す。
自分は元来怠惰な人間だが、同時に完璧主義でもある。怠惰な完璧主義者というのは厄介なもので、何かに手を付けて、それを完成させられる確率が非常に低い。だからプロフェッショナルにはあまり向いていない。
スケッチも、これでいいや、という点に至るまで、とてつもなく時間がかかる。描きはじめても、どうしても歪みを消すことができなくて、やめてしまうことも多い。

 しかし、この時ーー病気から回復するために、時間をかけていたこの時ーー好きなだけ自分の脳と手に試行を繰り返させることが、心地よくて仕方なかった。
脳の感情以外の機能を研ぎ澄ませること、あるいは指先を繊細に制御することの静かで緊張感のある快楽を、確かに感じていた。

 関西に帰った私は、大阪駅で画材を買った。

 わたしがやるのはアクリル画である。
専門的な絵画教育を受けたことがない人間にとって、油彩や日本画は手が出しにくい。めちゃくちゃめんどくさいしワンルームで作業するのは無理がある。
アクリル画はその点手軽でよい。

 大阪駅の画材店で、「胡粉ジェッソ」というのをみつけてわたしは興奮した。
ジェッソというのはアクリル画をやるときにキャンバスや板の下塗りに使う画材である。
胡粉はカキなどの貝殻をすりつぶした白色の顔料で、日本画に不可欠の材料である。
さらに言うと、文楽人形の首(かしら)を塗っているのは、この胡粉である。そのことを教えてくれたのは、ほかでもない勘彌さんであった。
これは使わねばなるまい。

 胡粉ジェッソは、黒いアクリル絵の具を混ぜて、墨色の下地とした。
これをキャンバスボードに塗り、乾かし、もう一度塗り、乾かし、紙やすりをかける、というのを何回か繰り返す。キャンバス地の布目の凹凸が絵を描くときに邪魔になるからである。

 それから、スケッチをチャコペーパーで墨色の下地の上に写す。昔はカーボン紙を使っていたが、今はこのチャコペーパーが主流らしい。手が汚れないのにちゃんと複写できるのでびっくりした。

 墨色のキャンバスに白い下書きが乗った時点で、なんかかっこよくてテンションが上がった。

 それから、画面の中で明るく、あるいは白く見える部分に胡粉ジェッソを乗せる。下地材だが、絵の具のようにも使える。独特の、粉っぽくて少し青みのある白が、これこれ、という感じだ。

 ここで、人形使いの右手が白い手袋でかっこいいな、とか、首筋の筋肉のラインがグッとくるな、ということに気づく。
普段の見る、よりも描いているときの見る、はずっと鋭敏な行為になる。だから、好きな人、ものしか描きたいと思わないし、描けば描くほど好きになる。この辺もアマチュアの特権だろうか。

 色を乗せはじめると、どんどんそれっぽくなってくる。面積が広いところ、明るいところから塗ることにしているが、好きにやっているので別のところが塗りたくなったらそっちに移る。アマチュアなので。
この時は背後の左遣いと足遣いを後回しにするとだるくなりそうだったので、先に黒く陰影をつけている。当たり前なのだが、黒衣を着ていても、思いのほか陰影や色がある。

 色を塗る段階でも、スケッチの時と同様、「なんか違うな」という感覚に襲われ、なんどもなんどもやり直す羽目になる。
この時の鬼門は勘彌さんの顔であった。
人間が人間の顔を認識する能力は特別だ、ということを思い知る。描いても描いても勘彌さんにならない。そのうちに描き重ねた絵の具が盛り上がってきて醜く、描きにくくなるので、そのたびに紙やすりで削る。3回くらい削ったような気がする。

 一つのところに悩んでも仕方がないので、他のところを塗っては顔をやり、顔に躓いては他のところを描く、という繰り返し。
そんな中でも、勘彌さんの袴の色がいい感じになってきたなあとか、人形の帯の西陣織っぽい感じがうまくいってるなあとか、自己肯定感を高めていく。

 人物と人形ができてきたら、背景である。
人物画を描くときは背景を幾何学文様にすることが多い。このときは、黒で文楽の舞台と手すりを塗り分けようと思ったようだ。

 で、やってみたらなんかいまいち中途半端だった。
そこでわたしはあるものを買いに行った。
金粉である。

 金粉をメディウムと混ぜて、本物の金でできた金の絵の具にする。
それを使って画面を区切り、金粉をさらに散らして、今回は完成とした。

 あとやっぱり顔が気に入らなくて最後まで描き直している。
背景も、もう少し計画的に出来たらよかったなあと思ったり。怠惰な完璧主義者の欲望は果てがない。

 この絵を描くのに、おおよそ一か月を費やしていた。描いては休み、休んでは描き。
やたらストイックに、形や色と向き合って過ごした。その中で、確かな回復を感じていた。

 「好きこそものの上手なれ」なのか、「下手の横好き」なのかはわからないが、アマチュア的なストイックさを自分に許す、ということは、ひとつの癒しの方法ではないかとも思う。
わたしにとって妥協は大きなストレスである。エゴの塊のような人間なのだ。しかし、人間社会というのは、妥協と協調でできているらしい。わたしはそういう社会がとても苦手だ。いつも周囲が想定している妥協点を推測し、そこに合わせられるように自分のエゴをぎゅっぎゅと押し込めなければいけない。

 それに、脳を感情以外のことにフル回転させてやるというのも、重要なことなんじゃないだろうか。
この世は、感情を動かそうとする力にあふれている。
人間関係、マスメディア、娯楽、広告、SNS……わたしたちは感情の強いうねりのジェットコースターのなかで生きているようなものだ。
暗いニュースに憤り、感動する話に涙し、他人の感情を推し量り、共感できるツイートにいいねする。
感情が動くこと自体の気持ちよさや、有用性は認めるとしても、あまりにも感情ばかりにエネルギーを使いすぎているのではないか、と思ってしまうこともある。

 同じ部位の筋肉しか使わないで生活していれば、体のバランスが崩れてあるところは歪み、あるところは凝り固まり、痛みを感じる。それと同じように、脳や心も、感情にばかりかまけていて、それ以外の思考や身体の制御、感覚器官の能力が縮こまってしまっていはしないだろうか。

 運動すると精神の不調が改善する、という話があるが(実際は精神がよくなって来ないと運動はできないが)結局は感情ではなくもっと機械的なことを脳や身体にさせてあげると、凝り固まっていたものがほぐれてよい、ということなのかもしれない。
運動でも、絵画でも、多分知恵の輪や将棋やテトリスでもいいと思うのだが、何かに没頭し、感情から脳を解放してあげることが、ときどき必要だなあと思う。

・著者プロフィール
吉田瑞季
オタクに夢を売る仕事をしているオタク
演劇・古典芸能・ヤクザ映画・詩歌

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