ゆにここアドベント企画「理想郷について考える」/杉田ぱん(1)


もう年の瀬ですね。気圧も厳しくなって参りましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

ゆにここでは年の終わりを記念して、スタッフによるアドベント企画をゆるっと開始いたします。毎週ひとつずつ、合計4本のエッセイが公開される予定です。

今回はテーマとして、「愛」を設定しました。愛といっても、人と人とのそればかりが愛ではありません。人と場所、人ともの、あるいはもっと漠然とした何かと何かの間にある大きな概念について、スタッフそれぞれの視点で語っています。

どうぞお部屋を暖かくして、軽い気分でお楽しみいただけたら幸いです。ハッピーホリデー!

愛のゆにここアドベント

第1回 「理想郷について考える」/杉田ぱん(1)
第2回 とりいめぐみ
第3回 高島鈴
第4回 杉田ぱん(2)

1本目は、ゆにここ代表の杉田ぱんによる、「好きなお店」についてのエッセイです。

書いた人:杉田ぱん
株式会社Unicoco代表取締役。
犬とリサイクルショップが好き。

私は、恋愛をしないし、人間への「愛」について書くのはあまり興味がない。だが、割と好きな「物」はたくさんある。なので今日は、その一つである「個人経営のお店」について、皆さんにご紹介したい。

そのお店へは、何度も通ったわけではない。年に数回しか開かない、大阪にあるセレクトショップで、そもそも頻繁に「通う」ことができないのだ。店名を「Essential Store」という。「Essential Store」へ行きたい場合、まずお店のInstagramをフォローする。そして年に2回ほど、「◯月◯日〜△月△日にOpenします」みたいなお知らせツイートが投稿されるのを待つのだ。私は毎年、桃や柿の季節をありがたがるように、お店の開店を喜んでいる。

「Essential Store」とGoogleマップに記されている、どうみてもお店には見えない「家」みたいな外観の場所へ初めて足を踏み入れたとき、最初に見たものは、生物の顔らしきものが描かれた板だった。この板には、とにかく迫力があった。店の入口なのに「入ってくるな」という圧すら感じる。入ってすぐ、階段があり、どうやらこれを登らなくてはいけないのだが、登るのが怖い。山や海に入る緊張感に似ていた。

恐る恐る、階段を中程まで上ると、まず白い光が見えてきた。

その光は、木漏れ日のように漏れてゆっくりと揺れている。階段を上り切ると、右手に大きく茂った植物の葉っぱが見えた。左手の壁には黒いタイルが貼ってあり、乳白色や透明のガラスで出来た花瓶や置物、なんだかよくわからない、とにかく透ける素材のものたちが、共鳴し、存在していた。たくさんの、おそらく全く違う場所で製造された、年代もさまざまな透明のものたちは、恐ろしいぐらいに響き合っていて、何か一つのものを伝えるような力を持っていた。古いものを売る店特有の埃っぽさが一切なく、白い光に照らされたガラスたちは、それぞれが少しずつ違う透明度を持っていることをはっきりと主張していた。そして、とにかく、ぎょっとするほど美しく並んでいたのだ。

私は、それらを見て、気づいたら泣いていた。目頭がただ、ただ熱く、ツーツーと目から水が出ていた。意味が分からなかった。とにかく泣いているのを見られたくない、と思った瞬間、不思議と人の目線を感じないことに気付いた。店員さんのいるカウンターから、私の姿がほぼ見えていないのである。「草むら」のような角が大量にある店なのだ。

ささっと涙を拭い、何食わぬ顔で、店の中央に位置する、明らかに別の雰囲気を纏った島のような場所へ向かって歩く。すると、さっきまでとは別の光を感じた。さきほどの白い光が、朝日のような、線のような強さを感じる上からの光であるのに対し、今度は焚き火のような、じんわりと足元から灯る淡く優しい光なのだ。木製テーブルの上に並んでいる品物を、この光が包んでいる。並んでいるものは、これはたぶん何かの、楽器なのでしょう……、これはミニチュアの石塔……、君は木彫りアヒルだ……、と一見すると全く統一感のなさそうなものが、何らかの法則性を持ってディスプレイされているように感じる。一体どんな法則性なのかと問われると、しばらく黙ってしまう。色なのか、素材なのか、形状なのか、これらが作られた時代や土地が同じなのかを考えるが、どれも違うのだ。

筆者が撮影した「Essential Store」の店内写真

では何がこの場所の法則を担っているのかというと、たぶんこうだ。「一人の人間が、修行のように世界中を練り歩き、ほとんどいらないものたちの中で見つけた、その人間の琴線に触れた絶対に持ち帰らないといけない、選ばれし物体たち」である。そしてこの、たったひとつの法のようなものが、非常に絶対的なのだ。

このたったひとつの法のようなものには、「売れる」とか「流行ってる」というような価値観に煽られたり、焦らされたりした形跡がない。その店は、そういった価値基準から遠く離れ逃れた者が、静かにマイペースに物を集めて築いた場所なのだと感じた。まさに「孤高」という感じである。

そしてこの店のもう一つの特徴は、先に述べた「草むら」のように、誰かの目線を感じさせない配慮が、かなり意図的になされているという点だ。店を見る客は、店の品物に好き勝手に没頭することができる。これには、驚かされた。図された「草むら」的な空間で、「このお店を離れて、もし私の部屋にこれを置いたらどんなふうに見えるのか」を、私は思い切り吟味することができる。

店員さんは基本的にあまり話しかけてこない。だけど穏やかな表情だった。「お買い付けをされているのは、あなたですか?」と尋ねたところ、「違います。買い付けは、別の者が行っていて、最近は、あまり人前に出ないんです」と教えてくださった。

店員さんは、私が手に取った物について、大体どのぐらいの年代のもので、作られた土地や、前の持ち主についてなど、知っている情報を丁寧にゆっくりと伝えてくれた。

不確かな情報の場合、「恐らく」という言葉が添えられていて、「違う可能性もある」と語っていた。私の知らないことを話すときには、「教える」というよりも、「伝える」という感じで話してくれた。例えば、「私もあまり詳しくなくて、これ何だろう?と気になって調べてみたのですが……」といったような語り口なのである。

そのおかげで、私の方も自然に「前に調べたことがあって、◯◯という本に詳細が書かれていたかもしれません」といった形で、自分の知っている情報を気軽にシェアすることができた。ちなみに、正確度は、このぐらい。ソースはこちらです、みたいなふうに。今、目の前のものが一体何なのか、謎を解き明かすゲームのような、そういう会話だ。新しく知ること、自分で調べる余地があるものが目の前にあることを、私は非常に楽しんでいた。店員さんと物についての話を重ね、静かに物を見つめながら、「これって私の理想のコミュニケーションの形ですわ」と思った。

人間のコミュニケーションは、そのコミュニケーションが行われる場所がどういった価値観で構成されているかによってだいぶ変わってくると思う。

私は美術の勉強をしていたころ、非常にストレスを感じていたのだけど、それは物を作ることへのストレスというより、場所の問題だった。そこには「制作は、苦しむものだ」とか「芸術家は、変わり者が多いから人を傷つける」といったような、さむいことを言う大人たちがいて、さらに学ぶ側が互いにさむい大人の価値観を意識せざるを得なくなる場所作りがなされていた。だからその価値観が空間を変形させ、そこにいる人間たちの行動が少しずつそれに適応してしまって、結果、制作を苦しみながら作ったり、人をあえて傷つける人が発生したりしていたんだと思っている。よくあることだ。

こういう残念に感じるコミュニティと、私が勝手に「最高」だと感じるお店やコミュニティの違いは何なのか、正直よくわからないところも多い。単に店員さんがいい人だったんじゃないの、と言われたら、「そうかも……」と思ってしまうし、「いえ、草むらの効果によるものです」と言われるかもしれない。

しかし、とにかく、「Essential Store」に足を運んでからというもの「居心地の良い場所やコミュニケーション、働き方や生き方」について、じっくり観察するようになったのは確かである。

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