「ユニコーンはここにいる」では、クィア・フェミニズムを生活と地続きの思想として捉え、おおむね毎月一つのテーマに沿って生活に根ざしたクィア・フェミニズムエッセイを掲載しています。
今回はプライド月間である6月を祝し(もう7月に入りますが、ゆにここのプライド月間はまだまだ続く!ということでご容赦ください)、クィア表象を扱ったゲームや映画についての批評をお届けします。
メディアにあらわれるクィア表象の数は、一昔前に比べればずいぶん増えたとはいえ、今もマジョリティ表象以上にその一つ一つの意味や文脈を注視せざるを得ない状況であると言えるでしょう。当たり前のようにクィアがいる作品、そしてクィアがいて当たり前だという前提のある現実を求めるために、さまざまな作品と受け手との間に批評で摩擦を生んでいくことは極めて重要です。
今回の記事を読んでくださった読者の皆さんが、おすすめのクィア作品、あるいは議論すべきクィア表象についてさらに話題を広げてくださることを、編集部一同期待しています。
第1回:近藤銀河「仮想世界のレインボーフラッグ――ゲーム空間は“私たち”に開かれるのか?」
第2回:新谷和輝「それでもふたりでいること――『死が訪れ、君の目をさらっていく』」
第3回:とりい「救われない自覚だけがある、街が欲しい」
第4回:金子由里奈「君と世界の接着剤」